君は村山槐多を見たか!『村山槐多全集』1963,弥生書房、野獣派の画家、詩人、作家
まず村山槐多1896~1919.の存在を知っているか、である。
洋画愛好の人ならあるいは、であるが普通はまず知らない、聞
いたことがない、という人が多いと思う。明治29年から大正8
年だか、仮に生存でもまだ126歳である、とも思えば思える。
基本は洋画家としても文学的素養も同じ程度にあったとも云え
る。母親が最初、森鴎外の家の女中をしていたそうで、槐多と
いう通常ではあり得ない名前を付けたのは鴎外だと言い伝えら
れていたという。母方の従兄に山本鼎がいる。現在の岡崎市に
生まれ、京都市上京区育ち、・・・・・絵画については個性的
だ。早くからの理解者に草野心平がいて、この全集の刊行に際
し、美術雑誌に草野が「野獣主義の詩人にして画家」という文
章を寄稿している。
長く横浜市、生まれとされていたが調査の結果、岡崎市生ま
れと判明、1896年9月15日~1919年2月20日、22歳5か月、
この全集は1963年12月、弥生書房から刊行、現在はKindleでほ
墓前作品が読める。古書も販売されている。安値と高値の差が
大きい。
この全集は二通の遺書、詩、散文詩、短歌、小説、戯曲、
童話、日記、書簡、また年譜も付されている。実質的にまさし
く全集である。絵画は口絵で代表的な作品が添えられている。
編者の著者の従兄の息子の山本太郎、この人は詩人で編集後記
も書いている。
まったく早くから天才的というのか、個性的で絵画、文学に
志した。京都市内の旧制中学、今の洛北を出て小杉未醒の家に
寄宿、日本美術院研究生となり、二科展に出品した。意気込み
は盛んで「宮廷指示」の最後が「王様はこれから浅草に行幸だ
、泡盛を飲みに」文学作品は怪奇な雰囲気だ。
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