老衰を目指してはならない、病気を起点に生きていこう。
今年のことだろうか、東京の落語家が71歳で老衰で死去し
た、と報じられた。驚いたのはその年齢であることは云うま
でもない。いまどき、71歳で老衰、・・・隠れた持病はあっ
たかもしれず、全くいかなる疾患も持たない人はいない、だ
が「老衰」と発表するくらいだから、死亡の原因を特定の病
名に帰することが出来なかった、わけであろう。この辺りは
微妙だが、身体の全体の機能の老化による低下で亡くなる、
・・・・・ことはく苦しみが少なくなにか望ましいことのよ
うに思われがちだが、病気はさておき、身体の各機能が老化
で衰えて死亡、こそは真に怖ろしいことだ。人間には種とし
て寿命な備わっている、それは確かだろう、だが、その年齢
が何歳かである。身体の各部分、その機能が老化、劣化で生
涯を閉じる、苦しみが少なく好ましい?とは単純に云い難い
のである。
古今亭八朝さん、71歳で老衰、死去
老衰こそは実は戦慄すべき死亡原因と云って差し支えない
、と思う。病気なら治す、別に病院に治してもらおうという
のではなく、自らの生活習慣を正して治す、ことが可能だ。
それとて病気の種類によりけりだが、病気ならそれを起点に
さらに生き延びる、ことが可能である。全く病気がなければ、
人間どうなるかを考えたらいい。
老衰は最も本質的な生命の終わりを意味するが、何歳以降
なら許容できるだろうか。人生であまり過重な心身の負担を
こうむった人の場合は老衰年令が早いように思う。新宿の顔!
だった加納貢さんは78歳で居住していた新宿の高級ホテルで
、ひとり眠るように亡くなっていた。事実上の老衰というべ
きだろう、むろん、病気は潜んでいた可能性はあるが。
死に方として老衰を苦痛が少なく好ましい、と思う気持ち
も無理からぬが、老衰はある意味、救いようがない死に方で
ある。身体を構成の器官、その細胞の活性が低下する、老化
のためであるから、まさに終焉である。
大江健三郎さんは88歳で老衰、若すぎるとは云わない、精神
の消耗も激しすぎたことを思えば長寿と云うなら長寿だった、と
云えないことはないが、老衰だから、釈然としない部分もある。
やはり老衰というなら90代後半くらいの年齢でないと、半ば早老
と思われかねない。
戦後は自民党の要職、外務大臣などを歴任した戦前から官僚と
して活動し、歴史的政治家ともいえる椎名悦三郎氏だが、81歳で
「老衰」で死亡と報道された。あの超切れ者が、と思うが、衰え
る年齢は頭の良し悪しは関係なく、心身の負担の密度、その総負
担の影響がやはり最大ということだろう。
老首位は苦しみは少ない、だが生命の活性の低下だから最も本
質的な死に方、生命の終焉形態である。救うすべはない。つまる
ところ、この人生、密度の薄い、サボりや人生こそ、細胞の活性
の維持力が計られる、ということであろう。
老衰は好ましいようで好ましい死に方とは思えないのである。
無論、年齢にもよるが、可能な限り、老衰は先延ばしにすべく、
一病息災の人生のほうが好ましい気がする。
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