ソルジェニーツィン『イワン・デニソヴィッチの一日』むしろ明るい読後感、「死の家の記録」に通じるロシア民族への希望

非常に著名な作品である、おまけに内容は第二次大戦中、
スターリンの圧政下のソ連の強制収容所が舞台、だから
「どうせ読んでも中身は推して知るべし』とさっさと思い込
んで読まない、というケースが実は多いのでは、とおもった
りもする。私もそうで、「どうせ」という最初からうんざり
感を持ってしまっていた
楽な強制収容所はないが、北朝鮮、ナチスのホロコースト
とは異なる。
スターリン治下では粛清の嵐、強制収容所が存在したがそれ
が明らかにされたのは戦後である。あのボーヴォワールの『レ
・マンダラン』の中でも、スアターリンの存命中にその存在が
明らかにされ、理想の到達すべき体制とされた共産主義国家に
まさか、とフランス知識人に大きな混乱を招いた。その存在そ
知り、困惑、落ち込む知識人らの様子がその小説に描かれてい
る。しかも詳しく。だがソヴィエト人作家がそれを実体験とし
て作品化するにはさらに時間が必要だった。それが祖国で認め
られたのはグラスノスチからである。
それがこの『イワン・デニソヴィッシの一日』言わずと知れ
た作品である。主人公のイワンは平凡なソヴィエト市民だった
が、たまたま戦争でドイツ軍の捕虜となり、それを正直にソ連
当局に報告したばっかりに正直はバカ正直となってしまい、ス
パイ扱いされ、強制収容所に放り込まれる。あちこちの流刑場
を8年間も点々と引き回された。その一日の生活、朝から晩ま
でを描いたのである。生活はどん底である。極寒の極貧、目に
つくものはたとえ釘一本でも見逃してはならない、というレベ
ルでここまでソ連強制収容所が綿密に描かれた文章は前にも後
にもない。
収容所の生活は過酷である。弱肉強食、生き延びるのは自分
の力だけが頼りだ。極寒の中、入所者たちは必死の工夫をこら
す。いかにしたらサバイバルできるかでらう。物々交換、タバ
コの闇取引、賄賂、皿の数のごまかし、極寒と官僚主義と理不
尽の中、いつ果てるともない地獄の生活を生きる外ない。確か
に暗黒な小説だ。しかし正統なロシア文学の伝統にある作品だ
と感じさせられる、・・・・・・のはドストエフスキーの『死
の家の記録』の流れにある。
語り口は翻訳からだが。いたって淡々と柔らかく、話すよう
に書いている、というのだろうか。凍てつく中の地獄の生活に
、時としてユーモア、薄日が差している。洒落や、風刺、教訓、
などが織り込まれ、ただ読者を暗い気持ちにさせてしまう、小
説ではない。労働の喜び、作業仲間との強調と友愛を描く場面
もあって、暗黒一辺倒を期待の読者は意外の感にうたれそうだ。
美しくもあるが、なんだか物足りない、と思われる要素もある。
『死の家の記録』がそのタイトル、舞台からすると、逆に読
後感が明るさを感じさせ、一種の失望を与えるのと非常に似て
いる。実はこれぞ、ロシア文学の正統的伝統なのだ。権力の非
道より、そこで働く人々、人間を描くことに専念するコンセプ
トなのである。強制収容所と云ってホロコースト、北朝鮮の
完全絶望収容所とはまた異なる、ということだろう。観念的な
暗黒小説では味わえない爽やかさ、ロシア民族への期待が満ち
ている。
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