ソール・ベロー『ハーツォグ』1964,アメリカの精神の限界状況を描く

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 この作品はソール・ベローの1964年の作品で翻訳は1970年、
早川書房からである。これでソローは全米図書賞を受賞、1976
年にはノーベル文学賞を受賞した。別に文学賞が本質的価値を
持つものでない、ことは言うまでもない。

 現代アメリカ人作家は実は日本人には馴染みにくいものだ。
日本人は外国文学と云えばヨーロッパ文学、である。ソール・
ベローのような著名!な作家も意外と一般に知られていない
傾向はある。だが現代の世界文学におけるアメリカ文学、の占
める領域はダントツに広いといっていい。アメリ人作家ほど、
文学のあり方を問い詰める作家は他国には見出し難い、と言わ
ざるを得ないのだ。

 ソール・ベローはユダヤ系でアメリカ現代文学を代表する作
家である。1915~2005、89歳没、アメリカかくも読者を獲得
し得た理由だが、ユダヤ系アメリカ人らしい複雑な精神構造、
社会からの歪みを受けつつも、荒廃したアメリカ社会の中にお
ける人間の確立、この作品でモーゼス・ハーツォグなる受難的
なヒーローの主人公を創造したことも大きな要因だろう。

 「この頭が狂っているにしても、苦にすることはない、とモー
ゼス・ハーツォグは考えた」という文章で始まる。この小説は
他人からだけではなく、自分でも正気とは思えないような、精
神的な限界状況に陥っている。一人の退職した中年の大学教師
の内面を徹底して追いつづける。

 そんな話など退屈極まるのでは、と思われそうだが、そうで
はないのである。それというのも、このハーツォグを語るため
に、ありとあらゆる著名人、指導者から個人的な友人、知人、
無名の隣人にいたる、数多くの人々に、・・・・情熱的な手紙
を書き送る人間、という設定がなされているためである。

 例えば、ハーツォグが自分のせこい情事のための小旅行を
計画する間でさえ、全世界を相手に、訴え続け、咆哮し、抗議
し、正しいと信じるとこころを説いているのである。全くもっ
て説教師のような、それもハーツォグの幼年時代からのユダヤ
人としての生涯がよみがえるほどに、ひとりの独特な体臭をも
ったアメリカの知識人の異様な存在感があまりに印象に強いか
らである。

 また日本人の情婦とのいきさつの全体が描かれるが、ここで
その表現力は具体的で生々しく、精神的には哀れなほどの純情
を装う女との交渉が実在感をもって語られる。

 後半において別居の妻の家から、愛娘を連れ出し、ドライブす
ると事故を起こし、ピストル所持がその時発覚し、結局、社会的
に行き詰まってしまう。受難のヒーローに、ある一つの静かな調
和感覚というものが訪れて、作品として世界全体に、モラルに代
わって責任を取りたい、というドンキホーテ的な願いを感じさせ
る。

 「やがて死んでいくことはわかっている。それでいて、その内
部にmなにか大きな、心の温まるものを、おれは願っている。そ
子に選択の余地はない。その何かが、激しい物を、聖なる感情を
生み出す」

 難関と云えば難解だ、がとっつきにくいがアメリカ現代文学を
代表する長編である。

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