伊藤整『ヨーロッパの旅とアメリカの生活』1961,あまりに痛ましい伊藤整の心象風景
この本はヨーロッパ文明の冷たさを描いている、という言い
方は出来る。事実、そういう性格をヨーロッパ文明は持ってい
る、だが真の描かれるのはヨーロッパの冷たさを描くことで実
は伊藤整の心象風景を述べている、ことである。伊藤整の死後、
伊藤礼さんが述懐されていたが、伊藤整は決して自らの心を明
かすことがなかった、例えば快晴の朝「今日は天気がいいから
気持ちがいい」などとは絶対に云わなかった。死の直前、一度
だけ自らの心を噴出させた、病床、死の直前「あー、俺はバカ
だった、バカだった」と頭をゴンゴン叩いた、奥さんが「どう
せ人間なんかバカをやってるんでしょう」・・・・・ふと、そ
の逸話をこの本で思い出した。
自らの心を明かさない、・・・・・仮面なのだろうか、・・
この本を読み、つくづく、伊藤整という人の人柄について深い
部分で教えられたような気がした。
この本は前半は、こちらが大部分なのだが1958年9月から翌年
4月にかけてのヨーロッパ諸国とソ連の旅。この旅行のメインの
目的はパリでの世界ペンクラブの総会とタシケントでのAA会議
への出席にあったようで、その後、ヨーロッパ職を歩き、デン
マークから貨物船で二か月近くもかけて帰国、途中、地中海、
インド洋、東南アジアの港を経由である。後半は旅行ではなく、
アメリカのコロンビア大学の客員教授としての滞在記、1960年
10月から1961年7月まで。
正直、アメリカ滞在記はさほど面白くなく、面白いのは前半
のヨーロッパ旅行である。日記の体裁で七ヶ月もの外国での記
録がかなり克明である。留学経験はなく、書物で徹底してヨー
ロッパの文化、文学、思想を深めた一人の日本の完成された文
学者が何をどう思うか、である。書物であれほど親しんだヨー
ロッパの実際をどう感じたのか、である。
だが大いなる感銘、悪い意味でもいい、驚き、・・・などを
期待したら全く裏切られるだろう。もはや書物の人、伊藤整は
完成され尽くしている。書物によるヨーロッパ文化の深い教養
はあまりに伊藤整に深く根付いていたのだから。
パリに一人のとき、伊藤整はこう綴る
「私は人に与える負担から、また、人が私に求める欲求から
のがれたいために、一人でいることを願う」
最初に引用した伊藤礼さんの、父親のいうにいわぬ堅固な冷酷
さというのか、注意深く自分を隠す、それを想起する。実に美し
い文章だが、痛ましい心象風景だ。だがそれはそれで心を打つも
のがある。その内面、心象風景がヨーロッパ文明の持つ冷たさと
見事な調和を示している、・・・・・一人でいることを望みなが
ら決して一人でいることなど出来ない、初恋の女性、「シゲル」
の面影が浮かびました、とは書かないだろう。だが長男の名前に
初恋の女性の名前をこっそりつけた伊藤整だ。日記にはその日の
伊藤整がつかった冗談さえ克明に記さっれている。その冗談は実
に痛ましい、いや傷ましい。この本の7年後に伊藤整はこの世を
去ったのである。
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