宮本常一『忘れられた農民』1961,〔未来社〕農民自身の言葉の深い味わい

気がついたのだが岩波書店から2013年『「忘れられた日本
人」を読む』という本が出ている。ことほどさように「知識
人」は日本の農民に関心がある、のは有り難い、というべき
だろうか。日本の農民の貧窮ぶり、惨めさについて専門的に
研究した書籍は実に多いと思う。研究者、社会科学系の知識
人ときたら、もうお決まりのように、日本の農民は日本資本
主義発展の犠牲となり、繁栄から除け者にされた農民を、マ
ルクス経済学的に「階級的」に分析、次々と統計を発表する。
日本が世界でもマレなほどの「マルクス経済学者」が跋扈し
た国であることは独自の天皇制とも結びつく、「天皇制の仮
面のマルクス主義官僚」という日本の特性を生み出した、ち
ょっと余談であるが。・・・・・・とにかくアカデミックな
立派な結論が出てきて、日本の農民がこんな散々なひどい目
にあっているのは、日本資本主義と社会構造が悪いからだ、
という。まあ、それはそれで「有意義」 にしても、どうも
農民を実際に見てきた目には、なにかシックリいかない、異
次元に偉い人の半ば空論に思えてならない。
宮本常一さんとは、明治40年、1907年、山口県の周防大島
の生まれ、青年時代は小学校教員、をしながら全国各地を回
って民俗学的な探求を行った。著書に『民俗学への道』、『
村里を行く』編著で『日本残酷物語』これは現在も出ている
と思う、著名な本である。
当然ながら、日本の大学の偉い先生の農民論にみられる空疎
さ、よそよそしさは全くない。
その祖父、宮本市五郎は山口県の農民、父親は養蚕を行った。
宮本常一さんも教員になったが同時に農業を行い続けた。祖父
の市五郎は長州征伐で軍夫になり、剣術もうまかったというが、
基本は平凡な農夫だった。神仏を崇拝し、身の回りのあらゆる
生き物、ミミズに至るまで人間のように大切に扱った。この祖
父の敬虔な精神を常一さんは受け継いでいるようだ。
「平凡な農夫」といってその過酷な運命に耐え、黙って死ん
でいった彼らは多くの教訓を残している。
農夫と云って大工にもなるし、易者にもなるし漁師にもなる。
ハワイやフィジーまで出稼ぎに行くなど、その生涯はさまざま
である。個性的だ。農村の娘の自由奔放な旅には驚かされるし、
「世間師」、単に黙って定住するばかりではない。彼ら、彼女
らは実に生活に密着して積極的な探検を行う。泥に塗れ、汗ま
みれの働き者、はいかなり過酷な現実にも耐える。楽しみ、生
きがいを見つける。
『女の世間』には田植えをしながらの女によるエロ話、『
土佐源氏』では女遊びで一生を送り、盲目の乞食となった馬喰
の話、『梶田富五郎翁』、七歳のみなしごが、乞食同然から、
漁船に乗り込み、やがて津島の漁港をひらき、開拓者となった
という老翁の回顧談、橋もない川を渡って、根気よく話を聞き
だす、これぞ民俗学、とも感歎させる。
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