小西豊治『石川啄木と北一輝』1980,社会主歌人と右翼革命家、水と油の接点
明治の末期、もはや明治の終焉が近いある日、、肺結核で
余命幾ばくもない石川啄木が親友の金田一京助の住居を訪れ、
啄木が最後に辿り着いた立場、思想を金田一に伝えたという。
それが驚くべきことだが「社会主義的帝国主義」というもの
であった。別に批判的な意味での帝国主義ではなく、肯定的
、積極的な意味である。それは戦前、軍国主義は軍国=いい
こと、なのだから軍国主義は素晴らしい考え、ということだ
ったのを想起すればいい。
大逆事件の資料を渉猟しながら、「社会主義的帝国主義」と
の主張は啄木の思想的破綻を象徴するものと思われてきた。だ
が結局、それしかなかった、というべきか、啄木ほどの多感で
思想の練磨が著しい青年はナショナリズムと社会主義的革命を
同時に目指すという立場も不可解なものではないだろう。
かくしてこの本の著者は明治末期の青年、啄木がその思想に
至ったプロセス、個人と社会、詩的精神と社会批判の関わりを
描き出そうとしている。そこで北一輝を持ち出している。
普通に考えたら水と油でしかない啄木と北一輝、実際、啄木
ファンとしてはあまり考えたくないだろうが、この二人は社会
革命とナショナリズムを結びつけようとした点で共通している、
といって啄木のナショナリズムのレベルであるが。だが二人は
与謝野晶子の詩誌『明星』から浪漫主義の影響を受けていた点
でも共通であるという。どう見ても関係なさそうな啄木と北一
輝という二人の明治の青年は夢を持ち、同時に世間との軋轢、
衝突が多かった、ということだろうか。
著者は啄木と北一輝が「西郷隆盛」で結びつくというのであ
る。啄木は最後の時期、「大逆事件」の真相を探索し、それを
後世に残そうとした。そこで発掘した幸徳秋水の陳述書を読み
つつ書いた日記の中で「幸福と西郷!」とあることに注目する。
この「西郷」とは「真正なる革命家」としての西郷であり、西
郷をそのように評価する気風は故郷の盛岡に強くあったという。
また著者は北一輝が『国体論』や『支那革命外史』の中で終始、
西郷を「真の革命家」として捉えていたという、のである。
最後に著者は啄木と北一輝をルソーと関連づけようとしている
が、どう見てもこじつけである。
この本は1980年、「伝統と現代社」から刊行されている。
その後は御茶の水書房に移されたようだ。この年に著者は
明治大学大学院文学部博士課程を満期退学している。研究者
としての意欲がムラムラという時期であり、正直、あまりに
青臭い論旨にも見えるがそれはやむを得ないというべきだろ
う、私は正直、この本の趣旨には賛同できない。
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