大江健三郎『洪水はわが魂に及び』1973,一人のハンディキャップの少年の生活から描く現実の真相

大江健三郎さんは書き下ろし長編に代表作が多い、『万延
元年のフットボール』がそうだが、それと並ぶ書き下ろし長編
での代表作がこの『洪水はわが魂に及び』である。いかに現実
を見て把握し、、作家の想像力にどう活かすか、を象徴するよ
うな作品だろう。
この小説の主人公は、見本として建てられている核シェルター
にハンディキャップの子どもと同居している。これは大江さん
とその子息、光さんという存在が反映した設定だろう。個人的
な体験なのだ。なぜ主人公がそういう生活を送っているかとい
うと、いまや人間の暴力に冒されるものの象徴である、「鯨と
樹木のための代理人」になろうとするからである。なぜなら、
彼が別居中の妻の父親らしい人物と、人間の悪、その犯罪的な
場面に手を染めることにあり、そこから自己を罰する、という
ことになるようなのだが、この主人公の動機にはどうも説得力
がないようだ。
その代わりに、読者を説得してくれるものが、このハンディの
子供であり、彼は生きることを拒否するような、自閉症的な性格
をもつ知恵遅れ的傾向、ハンディキャップドなのだが、ただし小
鳥の声だけは鋭敏に聞き分ける。この子供が朝の到来、光が射し
てきて聞こえてくる小鳥の囀り、、・・・・・『キジバトです、
あ、オナガです』という言葉が、短いルフランのように、小説の
いたるところに散りばめられているのだ。この、大江光さんが投
影されているような感受性の発露は実に清らかでみずみずしい。
実に鋭敏でソフトだ、心の柔らかさだ。
この主人公とハンディの子どもとが、ちかくにいる「自由航海
団」と名乗る犯罪グループの活動に巻き込まれてゆく、あたりか
らら一挙にテンポも早まって、小説が展開する。
この少年グループは見捨てられた映画の撮影所を自らのアジト
にし、ヨットを建造しようとしている。それは遊びのためではな
く、いつか襲来する天変地異に備えて船出するためのものだ。ま
たその行動で、ただ現状維持で生きている「社会の中の人間」に
敵対するつもりなのだ。主人公はそこに招かれて反体制的な、こ
の小さなグループ内の倫理、心情、組織、内部裁判、分裂、リン
チなどちう様々な場面に出くわす。いつかは彼等ともども、核シ
ェルターに籠城し、銃撃戦まがいの修羅場を展開し、死んでゆく。
当時の風潮、反体制の若者、学生たちのグループという現実を
作家の想像力で作品化したものだ、実際の事件なども想起される
ところだ。作家の想像力がそのような現実を面白いのだが、ちょ
っと子供じみた戦争である。
あいかわらず大江さんの作品はどこか実験的だ、ハンディある
子どもと反体制的な少年グループ、社会をこのように映し出すこ
ともできるのである。驚きである。
この記事へのコメント