結城昌治『死者と栄光への挽歌』1980,『軍旗はためく下に』と似たテーマ性、深い問題意識の見事なミステリー

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 スタートは推理作家としてデビューし、その文章の魅力か
ら「推理小説の石川淳」とも称された結城昌治だが、その後
は単に推理小説ではなく歴史的推理小説、現代スパイ小説、
さらに捕物帳のシリーズなど実に多彩な素材を作品化するに
至った。この『死者と栄光への挽歌』は確かにミステリーの
型式はとっても、そこに深い歴史的な問題意識を込めたもの
であり、見事と思わせるものがある。

 結城昌治さんは1970年(昭和45年)に『軍旗はためく下に』
で直木賞を受賞された。この作品は敗戦前後に軍法会議で不
当な汚名を着せられ、処刑された人たちを描いたものである。
「聖戦」の美名に隠された戦争のあまりに惨憺たる実態を、
容赦なくえぐり出した名作というべきである。これと同じ
コンセプト、テーマ性で戦争にまつわる歴史の鞍部を書き留
めておこうということだろうか、『死者と栄光への挽歌』は
深い問題意識を込めた長編ミステリーだ。

 売れない画家の睦男のところに、建築会社の社長が訪ねて
きて、その会社の従業員が菊池の父親を車ではねて死なせた
ことを詫び、保険金が一億円下りるから受け取ってほしいと
いう。だが睦男の父親は戦時、太平洋戦争末期にボロホロ島
という南洋の島で戦死しているはず、だから奇怪な話である。
それが戦後30数年後、実は生きていた?と聞いて、睦男はい
ささか狼狽した。

 睦男は父親の応召、出征後に生まれた。だから父親の顔さえ
知らない、母も姉も空襲で死んでいる。現在は妻とは離婚し、
祖母と二人で裏しているのだ。その祖母は目下、入院中であり
、長く、その息子、一郎の戦死を信じていないのだ。だからな
お、戸籍上は父親は行方不明扱いとなっている。

 一週間前に交通事故で死んだ男は貿易会社の専務であり、浅
香節という美人と結婚していて、娘もいたが、何故か妻の名前
に偽名を用いていた。入籍はしておらず、被害者が古い診断書
で菊地一郎と判明したため、息子の睦男が遺族代表で保険金を
受け取ってほしい、というのである。

 睦男も一億円はほしいが、万事にきっちりと筋を通す性格ゆ
えに、被害者の身元の確認を急ぐ警察のすすめにもかかわらず、
その男を父と断定する気にはなれない。菊池と菊地は異なるし、
住所の違い、誤記としても、ひっかかった。睦男はその妻や娘
からも話を聞き、その貿易会社の社長からも事情を聞き、戦友
会の世話役の紹介で実際に同じ部隊の戦友、上官たちを訪ねて
回った。敗戦後の様子を確かめるとともに、写真を見せて歩い
た。

 戦友たちの話は微妙に食い違い、戦死も確認できず、また写
真も父とは違うと言われた。・・・・・・だが戦友会でも孤立
していた、戦友会に批判的だったある男の死をきかっけに真実
がかいまみえてきた、謎が解けてきたのだ。戦友たちは皆、事
実を隠していたのだ。残酷で非人間的な軍隊の体質を示すもの
であった。

 これは読後感で本当に娯楽のための推理小説とは異次元の、
すばらしいミステリーだと感じた。深い問題性を秘めている。
さすがの結城昌治さんだ、と思わせる。

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