文学に現れた「ナポレオンのモスクワ遠征」とその歴史的評価、フランソワ・ヴィゴ=ルション『ナポレオン戦線従軍記』

ナポレオンのモスクワ遠征、ロシアがナポレオンの大陸
封鎖令に違反したことに対してであるが、ロシア側からは
大祖国戦争、その第一次が対ナポレオンで第二次が対ナチス
ドイツ、ということになる。これはロシアを支える精神的な
バックボーンとなっている。また文学に与えた影響も大きい。
まとまった書籍ではクラウゼヴィッツの『ナポレオンのモス
クワ遠征』(訳書:原書房)、さらにコレンクール(ナポレオン、
ロシア大遠征軍潰走の記)(時事通信社)さらにフランソワ・ヴ
ィゴ=ルシオンの『ナポレオン戦線従軍記』(中央公論)など
が挙げられる。この三冊は1987年前後にその翻訳が国内で
続け様に刊行された。時事通信のコレンクールは入手が現在
、やや難しいかも知れない。両角良彦著『1812年の雪』も
実に参考になる。これは筑摩書房である。
世界史においてもその重要性は比類ない、・・・同時に、
ドラマ性である。そもそもナポレオンとはいかなる人物な
のか、ナポレオンとはフランス革命の落し子である。フラン
ス革命なくしてナポレオンはない、その混乱の収拾と対外関
係の貫徹である。
ナポレオンのモスクワ遠征、ロシア側からは大祖国戦争、現
在は第一次大祖国戦争、である。それがあまりに大きな歴史的
事件であったため、文学にもそれを取り上げた偉大な作品が多
い。いうまでもなくその代表的作品がトルストイの『戦争と平
和』である。なかなか読みきれない作品だが戦争叙述部分と
平和叙述部分が交互にあるから戦争部分だけ読んでいくという
読破法はある。その逆も無論ある。さらにスタンダール『パル
ムの僧院』、ドスとエフスキー『白痴』である。まずこの三大
作品にとどめを刺す。ナポレオンは戦争の天才というより文学
的英雄であった、かもしれない。ナポレオンが現実への観察が
およそ足りないと文学者を軽蔑していたというのも分かる気は
する。
雪の中、潰走するナポレオン遠征軍
ではそのナポレオン、モスクワ遠征の実態はどうだったのか、
というのは最大の興味とある。
コレンクール、クラウゼウィッツはどう考えてもエリート的
立場だが、ヴィゴ=ルションは下っ端的存在である。」
『ナポレオン戦線従軍記』これは一兵士の「戦争日誌」であ
る。別に歴史的認識、分析ではなく、いたって生けるがままの
戦争の実態の描写である。至るところで銃声が鳴り、兵士の阿
鼻叫喚は響いてくるような趣である。
著者の「自己紹介」がある。「私は1793年から1837年まで
祖国に奉仕した。45年間である。この間、22回、ほぼ間断な
く戦役に従軍し、21回の会戦を含む74回の戦闘に参加した、
5回負傷を負った、・・・・・だから私は生涯の大半を軍隊に
おいて力をふりしぼった、・・・・・私自身が経験したものを
あるがままに語る」というからその価値は高い。
彼はフランス革命当時は青年である。18歳の時「革命軍に参
加しなのは恥だという思い込みがあった」
かくして義勇兵で革命軍に入る。これはスタンダールの証言
「祖国のために役立つこと」こそが当時のフランスの若者の唯
一の宗教であった、わけである。(ナポレオン覚書き)
前半三分の一はイタリア討伐軍時代の体験である。「パルム
の僧院」である。その後、ナポレオンのエジプト遠征に至るあ
たりは戦争の残虐さと快活さを描いて驚くべき文章である。こ
の部分は素晴らしくもあり、まずナポレオンに関しての作家、
歴史家の記述はこの部分の文章を無断借用したとしか思えない
ほどだ。
エジプト遠征のくだり、近代史に突如浮かび出たプルタークの
「英雄伝」のようでもある。戦争に走る兵士たちの足音が響くよ
うだ。これを読めば絵巻のようで、同時にモスクワ遠征の潰走の
予言のようだ。一凡人が描ききった非凡な記録である。これを読
めばナポレオン戦争がフランス革命戦争の延長線、ナポレオンが
フランス革命の落とし子たることを納得できる。
この本は長期に渡るナポレオン軍、それ以前のフランス革命の
戦いからの従軍記であり、七月革命まで含む。ロシア遠征はその
部分である。
「戦争論」で著名なクラウゼウィッツ『ナポレオンのモスクワ
遠征』はナポレオンの度重なる戦争、遠征の多くの矛盾を冷静に
指摘している。クラウゼウィッツはプロイセンの軍人だったが、
このときは対仏同盟としてロシア軍参謀付将校だった。ロシア遠
征につき、こう述べている。
ナポレオン敗走の結果を見抜き、
「すでに以前からヨーロッパ文化を持ってしても。広大なロシア
大地は征服できないものであり、ただ内部分裂に期待するしかな
かった」
この視点からナポレオン中央軍が30万人の軍勢で出発して、モ
すくわ入場時点で9万人に減っていたこと。その消耗を計算し尽く
していた。戦争の非情さである。
ロシアの焦土戦術、燃え上がるモスクワ
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