吉川英治『新・平家物語』の完結編に込められた作者の万感の懐い


 吉川英治氏、戦後の代表作、大長編の『新・平家物語』、
「週刊朝日」の1950年、昭和25年4月2日号から1957年、
昭和32年3月17日号、全335回の長きに及ぶ大長編である。
「平家物語」だけではなく源平盛衰記、平治物語、義経記、
吾妻鑑など当時の多くの軍記物、歴史作品をベースにする
平安末期から鎌倉初期までの一大人間模様である。戦乱に
明け暮れて焦土と化した近代日本に重なる思いであの時代
を生きる人を描いた。「新・平家物語」を読破は最初から
順に、、でなくて飛び飛びで部分部分を熟読する方法がい
いと思う。・・・・・・だから、吉川英治さんが心血を注
がれた最終回をまず読む、というと何だけど、間違いなく
そこに作者の万感の思いがこもっている」はずである。

 吉川英治さんは戦前から戦後に至るすさまじい現実を思念
し、その感慨を祈るがごとくに庶民の目線で描きぬいた。作
者の平和を希求する魂は、この作中で阿倍麻鳥に託されてい
るようだ。麻鳥は崇徳上皇に仕える下級の小守だが、四国に
流された上皇を笛を吹いて慰め、文覚の勧めで医術も学び、
清盛を診るほどになったが、実は穏やかな一人の庶民である、
権力に屈せず、また不必要に権力とも争わない。この麻鳥の
眼が作者の眼なのである。くしくもそのラストは麻鳥夫婦が
吉野の桜を弁当持参で楽しむ場面である。

 ラストは吉野山で語り合う麻鳥夫婦が穏やかに語り合う
会話でしめくられている。

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 ーこの辺で、と。

 麻鳥夫婦は、けさ、旅籠でこしらえてもらって来た弁当を、
ひざの上で解き合って、食べつつ、花を眺めつつ、物も言わ
ずにいたのである。

 「・・・・・・・」

 いわぬはいうにまさる、ほどな理解が、自然何十年もの間に
は、二人の仲にでき上がっていた。

 今、お互いは何を胸で思っているのか、らぶん、それは交響
しあっているのであろう。だから、飽くこともないであろう。
 ひと箸、口へ運んでは、まて手の箸を忘れている・そして蓬
は蓬、麻鳥は麻鳥で、

 「ああ、ずいぶん、いろんなこともあったが、長い長い年月を
別れもしないで」

 と夫婦というものの、小さい長い歴史を、どっちも、無言の
胸に繙いていた。
ー思えば、恐ろしい過去の半世紀だった。これからも、あんな
地獄が、季節を措いて、地に降りてこないとも、神仏は約束し
てはいない。

 自分たちの、粟粒みたいな世帯は、時もあろうに、あの保元
、平治という大乱前夜に、門出していた。ーよくまあ、踏み殺
されもせず、ここまで来たと思う。

 そして夫婦とも、こんなにまでつい生きてきて、このような
春の日に会おうとは。

 絶対の座とも見えた院の高位高官、一時の木曽殿や、平家源氏
の名だたる人々も、みな有明の小糠星のように消えてしまったの
だ。

      ・・・・・・・

 
 やっと箸も終わって

 「美味しかったね、・・・・・蓬」

 と初めてそこで声が聞かれた。

 「ほんとに、夢の中で食べてるみたいに、食べてしまった」

 「ほら、うぐいすが啼いてるよ、あれも迦陵頻伽と聞こえる、
極楽とか、天国とか云うのはこんな日のことだろうな」

 「ええ、わたしたちの今が」
 
 「なにが人間の幸福か、といえば、つきつめたところ、
この辺が人間がたどり着ける、いちばんの幸福だろうな。これ
なら人も許すし、神のとがめもあるわけはない。だれにも望め
ることだから」

 「それなのに、なんで人はみな、位階とか権力とかを、あん
なにまでに、血を流して争うのでしょう。もう、やめて、やめ
てくれればいいのの」

 「やめれば義経の君のようになる。そういう仕組みにできて
いる世の中だから恐ろしい。また世の中は、そうしつつ進んで
いく。武家幕府とやらになって、なおさら、烈しくなるかもし
れぬ」

 「もし義経さまがいたら、どうなすっていたでしょうか」

 「疑いもなく、きっと思いを修羅に断って、わし達夫婦の
ように、どこか都の隅で、仲よくお暮しされていたろうな」

 「静さまと?」

 「むむ、それで思い出したが静さまは、その後も生きていら
っしゃるといううわさがある。・・・」

   ・・・・・・

 めずらしい冗談がつい口に出て。自分んも冗談にも、麻鳥も
笑いが止まらなかった。が、ふと、妻の手を扶けて起ちかけな
がら、起ちもやらず、後ろの方へ、眼を、みはった。

 ーそこには麻丸がうつ伏していたのである。むかしの洟たれ
時代の子のように、いちめん地の花屑吹かれさまよう草むらに
両手をついて、声も無くただ泣きじゃくっていた。 

    ーーーーーーーー

 これをもって「新・平家物語」は終わるのである。完結の言葉
吉川英治さんは蕪村の句「牡丹剪って気の衰えし夕べかな」との
句の心に通じるものを感じられたということである。

 やはり「何が、人間の幸福かといえば・・・・」に作者の万感の
懐いが込められていると思うのである。


 

この記事へのコメント

killy
2024年01月25日 09:37
新平家物語は、会社の図書室で借りて全巻読みました。
もう10年早く読んでいて、「愛読書は?」と面接で聞かれたら、もっと良い会社に入れたかもと思いました。