梅原猛『隠された十字架、 法隆寺論』1972,事実誤認による誤った仮説は多いが、問題提起は意義ある本

 ダウンロード (77).jpg
 なぜ法隆寺という寺院がそれほど特別で論争の種になって
きたのか、実はこれがわかったようで分からない、普通は
日本史で学ぶ、だが高校日本史程度の知識では法隆寺論争
の真の意義はわからない。まず基本知識は身につけるとし
て法隆寺論争で大きな意味を持つ本が梅原猛著『隠された
十字架、法隆寺論争』なのである。

 この単行本の帯には「美しく妙なる法隆寺像、聖徳太子
像はこの本によって崩壊する」、「われら日本人の自己誤
認を大胆に指摘する衝撃の書!」、「怨霊の寺ー、法隆寺」
とか、なんとも派手なフレーズが踊っているのだが、なにせ
、本のタイトルが「隠された十字架」というから、こっそり
実はキリシタンの要素が、と早とちりしてしまいそうだが
、そうではない。序文で梅原猛は「真の意味で革命的なあら
ゆる学説が受けねばならない非難を、私も甘んじて受けよう
」、「冒涜の書よ、破壊の書よ、危険の書よ、妄想の書よ」

 なんとも仰々しいのだが、この本は今に至るも大きな影響
を与えているというべきだ。

 そのそも法隆寺は、明治以降は再建。非再建設説の争いで
延々と論争が続き、多くの本が刊行されている。これは戦前、
発掘調査が行われ、再建説で決着している。さらに戦後の1949
年1月26日、壁画が消失、さらに注目を浴びる存在となった。

 まず法隆寺をいつだれが、なぜ建てたのか、というのが最も
基本的な問題である。まずここからこの本も出発しているのだ
が、「日本書紀」などの歴史文献資料などをまず手掛かりとし、
法隆寺そのものや、寺の仏像、奈良時代に作られた夢殿、など
も考え合わせて七つの疑問を提示している。梅原は、藤原氏が
聖徳太子の怨霊を鎮めるために建てた寺だとする。

 西院伽藍の中門が四間で中央に柱が立っているという特異な
構造に着目し、出雲大社との類似を指摘している。

 そこで藤原氏の鎌足以後の活躍が、また政治的実力者の陰謀
の実現が、飛鳥時代から奈良時代への歴史の中で揺るぎなく指
摘できるというのだ。柳田国男や折口信夫らの民俗学的発想を
援用した大胆な仮説が展開される。

 夢殿本尊の救世観音には背中がなく、体内は空洞であり、こ
の像は「前からは人間に見えるが、実は人間ではない」、「人
間としての太子でなく、怨霊としての太子を表現している」と
いうのだが、これはフェノロサの著書の誤りを梅原が鵜吞みに
した結果である。「救世観音の光背が直接、大きな釘で仏像の
真後ろに打ち付けられている」として「釘を打つのは呪いであ
り、殺意の表現だ」というが、実は大きな釘などではなく、取
付ようの金具である、というなどなど、梅原はこの本で多くの
誤認からの誤った説を述べている。

 誤りは多いが、その問題提起は今なお大きな影響を与えてい
るというわけである。

 「と私は思う」、「と見える」、「であろう」、「なかろ
うか」など推論的な文章が実際多く、文献の制作年代を無視
した誤り、肝心なことが考慮されていないという批判、また
美術史家からの批判は激しかったのは事実。

 誤認、誤謬は多いが、問題提起は紛れもなく歴史的な意義が
あった、と云える本だろう。

 

この記事へのコメント

killy
2024年01月28日 08:26
この本に魅入られるよう毎日深夜まで読み、聖徳太子が架空の人物と確信しました。