ジョン・ダワー『吉田茂とその時代』1981,傲慢不遜の欠陥人間・宰相、吉田茂の本質に迫る

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 とにかく傲慢不遜を極めた、表向きそうだったが、実は滋味
深かった、わけでは全然ない。徹底した侮蔑的性格、エゴに満
ちた窮極の性格の悪い男、それが吉田茂がなぜ戦後、宰相に押
しあげられ、その後、奇妙に神話化したのか。吉田学校という
具合に、多くの保守党政治家を生んだ?佐藤栄作は吉田茂の国
葬で、弔辞で思い余って「吉田先生!」と云って批判を浴びた。
さらに吉田茂ほど国民に嫌われた宰相もいない。本当にとこと
ん憎まれ、嫌われた。まあ、大統領制でないから国民が宰相は
選べない日本である。

 著者のジョン・ダワーJohn Dowerは1938年生まれのアメリカ
人歴史学者、ハーヴァード大学で博士号取得、日本歴史について
、である。

 吉田茂はニ度死んで二度生き返った、と著者のダワーは云う。
退役を余儀なくされた外交官から戦後は宰相に。そして惨憺た
る吉田内閣の末路、国民から徹底的に嫌われ、憎まれた。その
くせ、その後は半ば神話化されてしまった。ダワーはこの一身
に蔵をと憎しみを浴び続けてその後は栄光と伝説に包まれるに
いあった戦後最大?の政治家のヴェールを剥ぎ、その真実に迫
ろうとする。・・・・・・正直、今ならさほど、このスタンス
は珍しく問題だろうが、この点でパイオニアワークだった。

 ベトナム戦争の絶望からアジア研究の学者となった著者が。
戦後のアメリカの極東政策の根源を探ろうとして10年の歳月を
かけての労作である。

 ダワーが吉田茂の実像に迫るためのスタンスは三つあって、
まずダワーは日本は戦前と戦後という時代に分けられるという
常識を信じない、戦後の日本は断絶より連続の方が大きいと考
える。それが戦後日本を指導した明治人の吉田茂に象徴的に現
われているという。したがって戦後より、戦前の吉田の分析に
かなりのウェイトがあるようだ。

 ここから戦前の吉田が、親英米派のオールド・リベラリスト
という世間一般の見解を否定する。吉田は民政党系の幣原喜重郎
とはまるで異なる、ひたすら日本の中国権益の擁護に熱心な、い
わばご都合主義の親英米派に過ぎなかったと断言する。吉田の戦
前の基本的思想の、天皇制・国体の存続、革命・左翼勢力の弾圧、
財界の権益擁護、英米協調、日本の大国化というその考えは戦後
、そっくり継続したというのだ。

 では吉田の日本再軍備への消極性はなぜか?ダワーはこう云う。

 「軍部こそ隠れた共産主義勢力だ」という近衛上奏文の実は吉田
の執筆であり、軍隊=共産主義者に囚われていた吉田のどうしよう
もない本音に起因するというという。

 第二に、ダワーは吉田茂の同時代の吉田がつき合った英米の外交
官の証言を丹念に集めている。吉田が英米の同時代人にどう思われ
ていたか、である。

 英米外交官の吉田茂評は英語はさっぱり話せず、英語にもとうて
い、通暁していない。説明は下手くそで非論理的、つねに希望的観
測と現実を混同する無能な独善的外交官だったという散々なものだ
った。だから信頼もされていなかった。

 こういう吉田のパーソナリティがマッカーサーへの媚びへつらい
、いつまでも捨てきれない貴族的、特権階層的なエゴに満ちたワン
マン、傲慢不遜、へとつながり、結果として奇妙な伝説的宰相の、
云うならば虚像が辞職後、形成されたという。

 第三はそのような吉田茂を政治の舞台に招き入れ、その傲慢
演技をおもうままにやらせた戦後の日本の構造を詳しく分析してい
る。戦前は衰退しつつある大英帝国の平和、イギリス主導の平和
路線の下での大日本帝国の権益維持に失敗した吉田が、その方法
論をパックス・アメリカーナに移し替え、その庇護のもとで政治
的にのしあがったことに本質を見るのである。かって日英同盟の
廃棄を最大の愚行とみなした吉田茂が日米安保にその再現を求め
たのは否めないという。

 「問題は多かったがあの戦後のドサクサ、あの異常な傲慢な人
間、吉田茂だから日本はなんとか乗り越えることができた」とい
う「常識的」な日本人の吉田茂観からすれば、同意できない部分
もあるかもしれないが、実は日本人の吉田茂観の基盤を提供して
いる本とも思える。

この記事へのコメント

纐纈 晃
2024年02月02日 21:44
色々な見方があるものです。友人と歴代総理で誰が偉い?という話をした。
鈴木貫太郎と吉田だろうという結論になった。吉田氏は昭和20年代の困難な
時期にともかく国民を食わせた。日本の共産化を防止した。この2点は凄い