宇野浩二『思いがけない人』1957,滋味に富む随筆集、人情の世界を綴る

さて文学の鬼とも称される宇野浩二の戦後の随筆集である。
初版は1957年、宝文館から刊行、古書としては入手は難、全
集には収録されている。といって、まず宇野浩二を知っておか
ねばならないと思う。
宇野浩二、ちょっと宇野重吉と間違える人がいる。その大正
8年、1919年の出世作『苦の世界』を知っておけば、この随筆
集も良く深く理解できる。早稲田英文科を中退した宇野浩二は
生計のため少女小説など書き始めた。知人の出す雑誌の編集と
か、当時は渋谷の材木商の座敷を借りて、母と女と三人暮らし、
出世作『苦の世界』はこの辺の事情を描いた作品。なんだか
、あることないこと、おもしろく語っている。・・・・・根底
において愛すべき小心民を描いて、「それでどこが悪いのです
か」というスタンスがある。何を突き止めず、話は枝葉末節に
わたって。いつのまにやら本筋に戻る風情がある。その独特の
話法、が大阪の人情噺、大阪の落語に通じるものがあるとされ
るのも納得できる。道化の度が過ぎるとも批判を受けた。その
裏舞台が、別にその当時の話でもないが、この随筆集で察しが
つく、心の有り様である。
『思いがけない人』は宇野浩二が出会った演劇人、画家、文
学者、旧友などのことや、長崎、大阪の今昔を述べた旅の話な
どをあつめている。
その中『文楽の世界』と題した随筆、雨の中を帝劇の楽屋に
山城少掾(しょうじょう)を訪ねた話で、粗末な楽屋にいる少掾
の「悠々としてせまらぬ、長者のような風」と「そのかげにあ
る、なんともいえぬ、ものさびしさ」を巧みに描いている。
「人は七十二歳にもなれば、それだけで、たいてい、ものさび
しさを感じるであろう。しかし、山城少掾をさびしがらせるもの
は、そんな単純なものではない」
この道に入って六十年、かなりの天分あるものでも、大成する
のは四十代半ばからさきであり、その修行中の生活の苦しいこと
はなみたいていではない、ことうぇお知りすぎるほど、知ってい
るからなのだろう。
宇野浩二は、まったく、この世をはなれた、別世界にたちこも
っている、この老人のものさびしさを思い、暗がりの、雨の降る
道を帰っていくのだ。
写実もしみじみとしていて、楽屋にある衝立や下駄箱、板の間
に敷いたうすべりなど、こまごまと書いて、目に浮かぶ情景を現
出させている。
宇野浩二をなぜ「文学の鬼」というのか、いまでもよく分から
ないが、この写実と話術のうまさは本質ではないか。
『河上肇と饅頭』は、ひといちばい饅頭の好きな河上肇が戦時
下、死期を悟ったというのか、饅頭を食べられないのを歎き、こ
の「饅頭への思慕」が故郷への思慕とかなさり、故郷の母への手
紙となったのに感動する話、
『親の子を思う」は三鷹事件の被告の竹内景助が我が子に獄中か
ら宛てた手紙を宇野浩二が読み、「ものいわぬ四方のけだもすらだ
にもあわれなるかな親の子を思う」という実朝の歌を思いだすとい
う話、
苦労人的な人情の世界は宇野浩二の小説の世界だが、これが日本
人の共感を呼び起こしやすく、誰も反対はしないという日本独自の
甘い歪みを誘発する、ということもあり得ることで、これは留意が
必要かもしれない。
それは表題ともなった『思いがけない人』
野坂参三にあった話で、その雰囲気は伝えているが
「野坂も、大杉や幸徳と同じような人情家ではなかろうか」
とはあまりに深みに欠ける観察としかいえない。
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