高野悦子『二十歳の原点』1971,現在の学生からは想像もできない精神、全共闘運動での孤独

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 現在の『二十歳の原点』は14歳から20歳までの三部作と
云う内容で全てKindleで購読できる。1971年に新潮社から
刊行されたのは三部作の最終巻、1969年1月2日から6月22
日までの日記となる。実家には中学生時代から書き綴った
日記が残されていた、残された日記からというなら「にあ
んちゃん」があるが、作者は亡くなっていない。

 自殺を遂げたのは1969年6月24日である。最後は

 小舟の幽かなるうつろいのさざめきの中

 中天より涼風を肌に流させながら

 静かに眠ろう


 そしてただ笛を深い湖底に沈ませよう

 である。

 1月2日は「今日は私の誕生日である」とある。だが1月10日
には、「東大、機動隊の導入」と書かれている。17日には、彼
女の在籍の立命館大の全共闘に拠る学舎の封鎖が記されている。
またこの年は三年になって専門の史学の勉学に励むはずであっ
た。だがこの1969年を彼女は生き抜けなかった。

 私の記憶だがおよそ日本の歴史で1969年ほど、激烈に若者
の情熱がほとばしった年はない、気がする。

 高野悦子さんは栃木県から京都の立命館大に入った。やはり
歴史の都、京都への憧れがあったと思える。でも日記にはなん
となく入ったように書かれている。あの時代、難しい時代だっ
た。「生命の充実感など、かってもったことがない」と書かれ
ている。大学は失望が多いものだ。まして紛争である。惰性で
生きることから脱出しなければならない。そこでカミソリで手
をきったり、コードを首に巻くなど、どうも不吉な行動に出る。

 世の中にはただ「なんとなく」生きることに陥る気風がある。
その中で生きるには演技も必要となる。それだけに本当の自分
が気にもなる。「私を偽り続けた世界を見返す」という怒りだ。

 タバコとか酒、パチンコ、だが彼女は意を決して全共闘の中
に入っていった。参加はしても日記にはごく控えめにしか綴ら
れていない。全共闘の中でも孤独である。まだ20歳の女子学生
には荷が重すぎる。でも、全編は読み切れないが、その孤独に
ついて彼女は若い女性らしい心情で誠実に自己反省している。
それは最後まで変わらない。

 でもあの時代の若者の激烈な精神は今の大学生からは想像で
きないものがある。全共闘は党派性はない、中核でもない、ま
ず純粋な共闘だが各個撃破されていく、大学管理法もその後、
できる。実は自死を遂げた学生も多かった。1960年の樺美智子
さんとも異なる、あの時代、あのように大学生が燃えた時代は
もうこないだろう。

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