大原富枝『婉という女』1960,素晴らしいテーマも十分に展開されず、四十年の僻地への幽閉
私は最近、刷新されたGoogle Earthのストリートビューで
地方の、ちょっと僻地的な街を散策するのが楽しみである。
岡山県なら新見市、徳島県の三好市、さらに高知県の宿毛市
、・・・・・そうのような人口の減少する中央からはるか遠
い街は日本には数しれず多いが、特に、この三つの街は好き
である。でも基本的に、街並みをストリートビューで見て、
日本の街は大都市から僻地的な位置の街まで同じようなもの
だという印象を受ける。ただ、戦後長く、活況だった地方の
街の商店街も徐々に死に絶えている印象はあまりに強い。
私の心の底に、どこか僻地的な位置の街に移り住みたい、と
いう気持ちがあるのだ。
宿毛市
そこで名作の評価高い、大原富枝さんの『婉という女』
である。大原さんが高知市の図書館でその資料を見出した
ことがきっかけになったという。この点については詳しく述
べているサイトも多い。大原さんも宿毛市を訪れ、その寂し
さを感じられたという。文庫本あとがきだが。
純粋に作品としてみた場合、を述べる。
作品の主人公、婉は野中兼山の三女である。野中兼山は江戸
時代初期の土佐藩の家老、土木工事など積極的で藩政改革にも
力を注いだが藩士や領民の恨みをかって罷免され、隠棲三ヶ月
後に死亡、残された子どもたちは男系が続く可能性が絶えるま
で、として西端部の宿毛に40年もの間、蟄居幽閉となった。
宿毛への配流の藩命のあったとき、婉はまだ四歳だった。三
人の兄と一人の弟、姉二人、妹一人。また、それぞれの子女の
母である兼山の妾四人も配所に移された。番士の見張りのもと、
一切の外出が禁じられた。その幽閉の配流生活が四十年なのだ。
その間に、七人の兄弟姉妹で五人が亡くなった。
このように外界から完全に閉ざされた四十年の蟄居。四歳か
ら家の敷地から出られない、という婉
である。
「世の中に生きるとはどういうことか」を知りたく思いつめ
ていた。
端的にいうなら、これがこの作品のテーマだろう、非常に稀有
な状況での興味深いテーマだ。他の兄弟姉が死んでいく中、婉は
外の世界を知りたいという思いで生き抜いた。
では著者自身がこのテーマをいかに展開していくか、読者なら
当然、そう感じるだろう。だが、あにはからんや、そのあとに野
中兼山の伝記が克明に長々と綴られる。だが、この伝記部分が実
は精彩をまるで欠いている。テーマとの関わりも希薄である。い
きなり、はぐらかされた気持ちに突き落とされるようだ。
だがその後はまた、兼山の遺族たちが藩から赦免された日に戻
る。四歳で配所に蟄居させら、44歳で初めて人の世に出ていく婉
が果たしてどのように幹事、反応していくか、これは最も興味深
い部分のはずだ。
配所を出て高知の街まで三十里という。その道を旅する婉の目
に写る人の世のありさま、「茶屋に休み、旅籠に泊まり、もの珍
しくさまざまの人間を見た。その一人一人は必ず何かしら驚かす
ものを持っていた。そのたびに、あっと思い、それから、ああこ
れが人の世だと思った」という本当に短い文章で片づけられてい
る。これではテーマ喪失に近いのではないか。
作品は婉が、理想の男性として心に思い描く儒者と、たくまし
い若い男性と、二人を思い浮かべて、悩み、、いつの間にか老い
ていくところで終わっている。
素晴らしいテーマが拍子抜けの作品で、読んで無念さが残る。
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