八代目坂東三津五郎、フグ中毒死は実は覚悟の自殺だった?未亡人と生さぬ仲の三人の娘たちとの闘い

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 あの八代目坂東三津五郎がフグの肝臓を多量に食し、死亡
したのは1975年、昭和50年1月16日である。京都南座での初
春興行『お吟さま』に出演の時期、であった。1月15日、公
演後に馴染みと数名で京都市内、木屋町通四条上ルの料理屋
「政」に出かけた。食通で通っていた三津五郎であり、京都
市の条例で禁止されているフグのキモを三津五郎の要望に負
けて調理師の笠岡忠利(経営者の息子)が、結局、三津五郎に4
人分のふぐのキモを出したわけ

である。食べたのは4人、た
だし三津五郎以外は1人前、だが三津五郎は「もっと出せ、も
っと出せ」を繰り返し、結果、遂に帰らぬ人となった。

 京都ロイヤルホテルに戻って妻、二度目の妻の「たね子」さ
さんにフグのキモの旨さを吹聴たという。睡眠についたといっ
てホテルで夫婦だから、三津五郎の死後、たね子さんの話では
また後述するが

 「あの晩は三津五郎が上機嫌でしてね、夫婦関係もありまし
た、そうしたら夜中の二時半ころでしょうか、急に水が飲みた
いと起こされるまで、私はグーグー寝てました」

 ということであった。たね子さんは既に全身がしびれて動け
なくなった三津五郎に驚いてフロントに電話、ホテルの契約医
師の泉谷守医師が診察したが、もはや(手の施しようはなく16日
の午前4時40分に68歳の生涯を閉じた、・・・・・わけである。
『お吟さま』の原作者、今東光もその死を聞いて腰を抜かすほ
ど驚いた、「もうすぐ千秋楽だから、終わったら一緒に」と言
われていたのに、「明日ありと思う我が身の愚かさを痛感した」
とコメントした。

 残された未亡人、たね子さんは後妻であり、先妻は「ひろ子」
さんであった。その生んだ娘は三人、次女の慶子さんは池上季実
子の母親である。未亡人と生さぬ仲の三人の娘の闘いは火ぶたを
切ったわけであった。

 葬儀後だが、たね子さんはこう話した。

 「主人のためにお付き合いを積極的にやれば、娘たちはでしゃ
ばりだと云うし、番頭たちによくすると金遣いが荒いと云われる
し、しないとケチだと云われる。前の奥さんがあまりにも気の利
かない人だったので、私がどうしても行き届きすぎるから、あの
娘たちには気に入らないんですよ、世間からお褒めの言葉が出る
のがイヤtだったんでしょう、でも主人はわかってくれてましたよ。
本当に主人は前の奥さんが気が付かなくて、ほとほと困り果てて
いたんですよ。むしろ主人は前の奥さんに怒り心頭でした。私は
主人だけが頼りでした。」

 「こんなこともありました、娘さんの子供(池上季実子)の入学の
お祝いを包み『祖父、祖母』と書いて私ましたら、『祖母』とは
何事か、二度とそんなことを書かないでくれと。それと娘さんた
ちは私の留守を狙ってくるんですよ。そういうことをされました
た、やっぱり女として癪に障りますよね。やはり後妻の私が憎い
んでしょう。私が妾でなく正妻で入ったのが腹が立つんですよ」

 三津五郎の三人の娘の次女、慶子さんはこう言い返す。当時41
歳。

「三津五郎の娘三人を代表し、今こそ真実をお話しします」

 「それは私たちとしては、確かにあの人の顔は見たくはないで
す。だから父が一人の時に訪れるようにしていました。でも、そ
れは見て見ぬ振りが本当に立派な後妻さんでしょ。それなのに
『私の留守を狙ってくるなんで、この泥棒ねこ!」と怒鳴って電
話してくるような後妻なんです。父は内緒で娘に会ったと、あの
女に草履で殴られたりもしたんです。お詫びに30万以上もするハ
ンドバッグを買わされたりしました。我が父親ながら情けなくて
、どうして『実の娘と会うのが悪いんだ!」と云わないのか、は
がゆくて」

 そもそも三津五郎と後妻の「たね子」さんとの遭遇は?それは
、はるか戦前、昭和14年ころにさかのぼるという。舞妓上がりで
祇園の芸妓だった「たね子」さん、当時まだ、17、8歳、蓑助時代
の若い三津五郎、「歌舞伎役者など金にならないから」と無理に
別れさせたのは、たね子さんの母親だったという。同じ芸妓上がり
の母親だったという。……そこでいったん離れた二人、なぜ戦後、ま
た昭和27、8年ころ結びついたのか、である。

 慶子さんの言うには

 東京赤坂にある三津五郎の本宅近くのマンションにたね子さんは
居を構え、控えめでおとなしい本妻の「ひろ子」さんの座を脅かす
ような行動に出始めた。パーティーには「三津五郎の妻です」と云
って乗り込んできては、本妻のひろ子さんとしばしは鉢合わせ、

 「楽屋でも自分が本妻気取りで取り仕切って、彼女が来ると母の
方から引き下がってしまうんです。ある時は、うちまで来て『私と
奥さん、どっちを取るの!」と父に迫り、母は耐えかねてしばらく、
姉の家に身を寄せたりしました。」

 たね子さんの三津五郎の略奪作戦はさらにエスカレート

 「この家、奥さん不要。家政婦求む」と書いた紙を玄関に貼り付
ける。三津五郎の足が遠のくと、夜中にパトカーや消防車を送り込
むというイヤがらせをする。

 ひろ子さんが病床に伏したら、「必ず後妻に入る」と周囲に宣言
し、病人のいる家にずかずか上がり込んできてはあれこれ使用人に
指図をする。さらに寝ている、ひろ子さんに聞こえよがしに「二階
の病人、まだくたばらないのかね」と番頭たちに大声で聞いたり、
周囲をハラハラさせどうし。

 それに対し、たね子さんは

 「みんな大うそです。私は先妻の見舞いに行ったことなどありま
せん」と色を成す。

 慶子さんは核心部分を語る

 「いよいよ母がダメ、という頃、あの女はもうすぐ奥さんが死ん
で、私が後に入るから、そうしたらお金も自由になるから貸してく
れ、と借金をして歩いたんです。さすがに、このときは父も怒り、
『とんでもない野郎だ、あの女とは別れる』といいまして親族会議
を開いて、皆で『お父さん、いいですね』と念を押しましたら、父
は『光伸(蓑助)いっしょに行ってくれ」と連れ立って弁護士さん
のところに行って500万円の手切れ金を渡したんです」

 「たね子とは縁を切った」という挨拶状を出すと言い出したのも
三津五郎だった。

 これについて

 「自分の二号と分かれるのに社会に報告なんてバカな話はないで
しょ。三津五郎はそういう生真面目な男だったんですよ」

 と親友の一人は笑って言う。

 だが、この挨拶状が逆に、たね子さんを激怒させた。必死の巻き
返しに出た作戦の結果、わずか半年後、どんでん返し、彼女はつい
に三津五郎の正妻の座を射止めたという。その作戦は、週刊誌に
何もかもぶちまける、という構えを見せた。世間体に怯える三津五
郎は震え上がった。弱気になったようだ。だがこのときは、ぐっと
耐えたと慶子さんは云う。

 脅しがダメならと、次は坂東流の弟子を愛のメッセンジャーに仕
たてあげ、三津五郎にラブレターを送るという戦術に出た。

 慶子さんは

 「その一通を読んだんですが、めんめんと『私はあなたを愛して
います、信じてください』とか、父はロマンチックな面があります
から、それで動かされたようで、ある日、父が私に「入れちゃった
」と云うんです」何かと思いましたら籍に入れたって、そのときほ
ど仰天し、悔しかったことはありません。あの女は勝ったんです」

 だが三津五郎がなくなる前年12月、妻が2億5千万円の借金をつく
たと知って愛想をつかしたという。

 「旦那はずいぶん苦しんだようです、『俺はだれのために働くん
だ」、『正義は勝つ、俺は負けない』とか、本当にお気の毒でした」

 とは弟子の一人が証言する。

 「旦那はこれは離婚理由になる。今度、京都に発つ前も『お前と
俺は人生観も倫理観もまるで違う、一緒に暮らせない』と奥さんに
明言されてました」と。

 だが、未亡人は

 「離婚?冗談でしょ、主人はあたしがいなけりゃ、寂しくて生き
ていけないんですよ、こっちが出ていくと言ったら泣いて止めたく
らいです」

 三津五郎さんのお茶仲間で親しく付き合っていた女性は、昨年
12月、仲間と三津五郎さん宅を訪れた

 「珍しく奥さんがいてね、夕食をいただきましたが、先生はひ
どく悪酔い宇されて『きいてくれ、こいつは悪魔で魑魅魍魎だ」
泣いておしゃります。聞いてハラハラでしたが、奥さんの目の前
でしょ。奥さんは平気な顔でご飯をバカバカ食べてました、『
いつものことなんですよ』って」

 三津五郎と親しかった骨董店の店主

 「昨年12月から、たね子さんの骨董売りが激しくなって、三津
五郎さんの集めたものを売り払って、まだ支払いをやってないも
のまで売りに出して、骨董屋の中まではそんな情報は直ぐ入るで
しょう」

 たね子さんの浪費借金も拍車がかかっていたようだ。

 フグ中毒死事件

 「父が苦しみ始めたら、あの女は真っ先に弁護士に電話して、
その料理店の不動産登記簿を取り寄せてって賠償を取る考えだ
ったんです。あの人は得意そうに通夜の席で云いましたよ。で
もその間、父は放置ですから、医者が来たときはもう仮死状態
でした」

 というのは次女の慶子さんだが対して

 「だってあの晩はのろけですが、普通に夫婦生活をやったん
ですよ、ホホホ、で夜中の二時半ころか、水が飲みたいと言い
初めて。それまで私はグーグー寝てました」

 縁切り宣言をやった女を後妻にした心情は

 慶子さん

 「父は彼女の恐ろしさを知りぬいてました。お金を不自由さ
せたら悪事をやるから、自由にさせようと。亡くなった母はお
となしい人でしたから、あの女を社交的で頼もしいと思ってい
た時期もあるのです」

 三津五郎の親友、

 「フグ中毒で、まあ食通で、でもひそかに覚悟の自殺とも噂
されてますよ。冗談かと思ってましたが、状況お知れば知るほ
ど、覚悟の自殺、実はそうだった、『あんなたなんか殺して死
んでやる』と包丁を振り回していた奥さんでしたから、常套手
段でした。本当に三津五郎さん、震えあがってました。やはり
本当は自殺だったのではないか、と思います」

 たね子さんは

 「人生なんてお金なんかなくても幸せな人は幸せなんですか
ら、あんんまり有名な家なんか行くもんじゃないあね。娘なん
か父親と利害関係だけで結びついているみたいで」

 だが早い者勝ちと云うのか、まだ三津五郎に体のぬくもりが
残っている間に、たね子さんは契約していた生保の外交員に
「一刻も早く保険金を降ろして!娘たちには内緒でよ」とその
外交員が入院している病院まで火のついたように電話したとい
う。

 外交員

 「それから朝な夕なに、矢の催促で、私も無理して早々と
2500万円、出してあげました」

 慶子さん

 「もう私たち姉妹の気持ちは家でもお金でも全部持っていっ
て下さって結構ですから、ただ私たちとは完全に縁を切ってくだ
さい、と申し上げたい」

 昨年の暮れにお弟子さんが三津五郎さんとの食事をして

 「その日は珍しく、次女の慶子さんが坊ちゃんを連れてきて
ました。奥さんはお留守、旦那は嬉しそうでね、自分でうお料
理を作って一緒に夕食ねをね、こうつぶやいておられました
『こうしておじいちゃんが孫に魚をほぐしてあげている、ママ
にも、これが本当の家族なんだね』と、本当につらい気持ちが
伝わってきました」

 三津五郎のフグ中毒死、やはり半ば覚悟の自殺、だったと
思わざるを得ない。


 葬儀での、たね子さん

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  2022年8月4日、次女、慶子さんの葬儀(娘、池上季実子』

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