101歳でなお健在な義理の伯母、本当に懐かしがってくれます
最近は100歳以上、さほど珍しくないのかもしれないが、私
が100歳以上生きる人、多くは女性だが、一つ重要な点は頭脳
である。頭の良し悪し、とも断言できないが、結局、そういう
ことだろうか。幼い頃、小学校低学年まではこの義理の伯母と
は親しかった。ただうちの親と伯父夫婦がトラブって長く疎遠
だったのだが、元来、義理の叔母の出身地は私の現在居住の市
域内である。まあ、昔は玉島市といった。1967年くらいに倉敷
に併合された、・・・・その農村部の出身である。
でも数年前に一度、割と近くの有料老人ホームに義理の伯母
を訪問したら、とにかく懐かしがってくれた。実はその二年ほ
ど前、私の故郷のホームに入所されているときも一度訪問した
のだが、そのときも本当に懐かしがっていただいた。その前か
ら年賀状を頂いていたのである。
とにかくことし年賀状をいただいたのには正直、驚いた。訪
問がまだそのホームは「感染防止」とかで、出来ないのである。
やや度が過ぎていていると思う、で訪問できない、だから生存
かどうかも分からなかったのである。そこでことしの元旦、か
何日目かに届いた年賀状には「101歳」と自ら明記されていた。
で伯母、義理も含め、みな私をかわいがってくれたものだ。
程度の差はあるが。一人、我が子への憎悪に殉じた実母がいた
がこれは論外である。人間としての優しさ、情愛は皆無、うれ
しい、かなしい、という精神がない、逆に侮蔑、憎しみなどと
云う悪感情は凄まじい、精神性がないから言わば「へのへの
もへじ」だが憎しみがワクと瞬時に耳まで口が避けた般若にな
る、おそろしい実母だった。その実母も96歳を目の前に結果は
栄養失調でなくなった。いまどき、栄養失調で死んだ人は見る
ことはないが、「延命措置不要」と事前に病院に兄弟揃って、
署名して提出、食べられなくなって点滴栄養、であった。
数年前、義理の伯母を訪問した際は帰りを玄関まで送って
いただき、私が車に乗ろうとすると玄関から車いすに乗った
状態で「~ちゃん」と手を振って叫んでくれた。よほど、懐
かしかったのだろう。義理の伯母は子供はない。そもそもその
亭主はうちの「父」の兄だが三度目の結婚相手がこの伯母であ
った。この伯父は、まあ、人間的には変わっていて天下一品と
しか云いようがないが、変わっていても筋は通っていた。その
点がうちの父親、万事がいい下限でニセモノだった父とは違っ
ていた。
伯母は101歳だが偶然とは思えない、頭である。文才がある。
それは現在も続いていると言える。昔々、雑誌『婦人倶楽部』
に「わが挺身隊の手記」を応募し、入選し、掲載された。ま
た産経新聞の投書欄の常連だった。只者ではなかった。その頭
脳あればこその長寿だろう、と感じる。
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