日本文化の源流についての雑感、日本は仏教文化圏ではない
「日本文化の源流」というのは実際、主要なテーマとなっ
ているようでそれがスバリ、本のタイトルになっているケー
スは多い。ずいぶんと分厚いものもある。私はあまりそんな
本格的なものは読んでも学んでもいないが、ちょっと今まで
印象に残る説は記憶にある。
日本文化の源流と云って、古代から近世、近代までそれぞ
れが積み重なった者には違いない。
昔、あのイギリスのアアーノルド・トインビー博士が来日、
何度か来日はされている気はするが、雑誌での吉川幸次郎と
の対談で、吉川が「博士は日本を仏教文化圏の中に入れてお
られるが、実は日本は固有は風土、習俗、歴史で仏教を受容
したわけで、次第に仏教も変質し、今は実質、無宗教になっ
ている」と主張、しきりにトインビー博士の考えを多少は修
正させようとしたようだが、結局、何も見新しい考えは引き
出せなかった。
日本は仏教圏、というのは一面は妥当するにせよ、現実は
日本古来の習俗、考えに仏教が取り込まれ、実際は仏教とい
う名の葬祭業が存在するに過ぎない、死んだ人を「仏様」と
いうなど、仏教本来の思想からは言語道断が数多くまかり通っ
ているのは日本には仏教は存在しない、という方が正解だろ
う。私は現在の仏教は石材屋レベルと考える。単純すぎるが、
釈尊の教えは遠くに退いているのは事実だ。釈尊の教えを「
原始仏教」と称し、何か蔑むが仏教の教えは釈尊の教えの
はず、これ以外、なんの仏教の真実があるのか、である。
山本健吉がやはり雑誌の寄稿、日本人の思考には一種の虚
無主義、思想があり、キリスト教を基盤とする西洋文化とは
しょせん相容れない、と言ったように思う。福田恆存は、日
本人がいかに西洋文化を学ぼうと背後のキリスト教精神をそ
そもそも理解し得ないのだから、どうしようもない、と。西
洋の文化、社会思想も経済も恋愛も機械文明もすべてキリス
ト教精神の産物だといったと思う。キリスト教の絶対神の思
想とは日本人は相容れないとする。
だが、では明治以降の国家神道、天皇主義、その宗教家は
絶対神ではなかったのか、となる。明治政府の諸制度の創設、
日の丸も国歌も多くの宮廷祭祀も祝祭日もすべて明治政府の
創案であり、それまでの「天皇制」とは無縁のようだが、実
は明治政府は旧来の思想を換骨奪胎したものであり、縁もゆ
かりもない、突拍子もないことを編み出した、ようで実は、
日本文化の源流には沿っている、と思えてならない。
堀田善衛な「鬼無鬼島」などの作品で日本人の虚無思想に
ふれている。民俗学的な見方で極度の孤立した村落、古い部落
の掟以外には何の関心もないという秩父山の集落の住民の極端
な現世主義、これを、かって、きだみのる、が報告していたと
思う。現世的で視野の狭さは日本人の源流かもしれない。
これも古いが若い頃、梅棹忠夫、世界は世界は第一地域と第
二地域に分けられ、日本と西欧は第二地域を挟んで楕円形の
東西に位置しロシアや中東などの第二地域と違った歴史の段階
を踏んで、西欧と同型の近代化を進めてきた。だから文化の段
階は別だが、民族的精神は共通だといったはずだ。だから劣等
感など保つ必要はないという。と結構な文化同質論だが、西洋
でも独仏はちょっと例外というから、ややかこしい。この同質
論で説明できたら世話はないが、いつの時代も学者は奇妙なこと
をいうものだということか。
この記事へのコメント
アジア的共同体内外の格差拡大は、アニミズム的神々にヒエラルキーを生む。倭及び後続の日本は隋唐の律令制度を一部取り入れながら、氏姓制度を拝跪しなかった。いわば和魂唐才路線を記紀で表現した。第一次国家神道と言える。
記紀はイザナミがイザナギに先立って唱えると障害児が生まれ逆にすると傷害のない子が生まれた、イザナミとイザナギが分かれる際、イザナミが殺害するより多くの子孫をイザナギが残すと宣言した、この二つで家父長原理を確立しようとした。 しかし、タカミムスビなどの無性生殖からイザナギ等の有性生殖に変化してなお、天照とスサノオの呪言による生殖への退化、女性である天照を神々のトップに据えるなど家父長原理が徹底していなかった。 国家神道は家父長原理を徹底させようとし、一定の成功を収めるが、記紀の家父長原理の不徹底により祭神論争・大本教など大国、スサノオを天照と同格にしようとする異端の発生を防ぐことは出来なかった。
葦津珍彦の朝鮮の壇君や館と軍の満州族の祖神をも包摂しようとした姿勢からも国家神道が一神教でないことがわかる。
国家神道を一神教扱いしたい人達の半分は、縄文などのアニミズム-自然を畏れ敬う多神教を奉じたい気持ちがある。 最近勃興した参政党の前近代性もそこから生じている。
保田与重郎、大本教、レジテマシー正統生長の家などは超国家主義から多神教的エコに転じた。 しかし、日本の主流派・レジテマシー正統は未だに天皇を中心とした血縁擬制序列思想を奉じている。
血縁擬制序列思想が先験的に連続性と一体性を論証・保証しているとみなす。エビデンス不要と説明をせず問答無用。