永井路子『波のかたみ 清盛の妻』安徳天皇を抱いて入水の清盛の妻を小説化

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 平家物語で安徳天皇を抱いて入水したという女性、女性と
いう言い方も妙だがそれが平清盛の妻である。永井路子は、わ
リと初期に源頼朝の妻の北条政子を描き、小説化した。さらに
室町時代、戦国時代、はたまた古代にまで手を広げて女性たち
を文学で手掛けてきた。だがいかにその人物像にアプローチし
て表現するかは難しい問題を孕む、永井さんはただ史料的に陥
ることなく、史料を活かし、まさにバランスよく追求している
というべきか。安徳天皇を抱いて入水、以外はほとんど注目も
されていなかった女性だけにいかに小説家として描くか、自在
なフィクションも文学化は容易ではない。

 『波のかたみ』は幼帝を抱いて入水した清盛の妻を描く。い
たって象徴的な表題である。平家の台頭から没落まで、つまり
中世の開幕の時期に先立つ一時代に焦点を宛てて平清盛の妻に
焦点を当て、その生涯を描いた作品である。名前は平時子、お
よそ北条政子と異質で対照的な女性だと思えるが、初期に北条
政子を、相当の時間を経て挑んだ平時子ということである。

 平清盛は当然、武士の出というわけだがその武士としての活
動がクローズアップされるのは保元の乱からだろう。『波のか
たみ』もその場面、あわただしい出陣の模様から始まっている。
後白河天皇、崇徳上皇との対立、ここで武士の力を借りたため、
武家の時代への移行の発端となった。同じく平家でも公家に属
し、中級官吏だった時信の娘の時子が、当時、次第に行われる
ようになっていた嫁入り婚で清盛と結ばれ、六波羅の泉殿に嫁
いでから十年以上が経って、31歳の時である。

 保元の乱は後白河天皇と崇徳上皇の対立確執に藤原氏内部の
対立が絡んで双方が武士の力を利用し、戦った結果、後白河天
皇方が勝利を収め、ここで39歳の清盛も初めて実戦を経験した。
太宰府の次官として対宋貿易の利益を蓄え、平家の富を大きく
増加させた。保元の乱の後、その財力と才覚で後白河やそれと
対立の諸勢力の間に立って巧妙に立ち回った。妻の平時子も
亭主の女性関係には幾分はこだわったが情報通の弟の時忠にも
支えられ、清盛の妻として成長、平治の乱では熊野詣に出かけ
た夫の危機を救う。平治の乱で源氏を打ち破った平家はついに
全盛を迎える。清盛は昇進し、時子も二条帝の乳母役として八
十島祭をつとめるなど、平清盛夫婦は宮廷世界の策謀にももま
れながら、しぶとくこれを突破していく。清盛はついに太政大
臣となる。清盛の野望はさらにふくらむ、娘の入内を期待する。

 福原遷都、都づくりは清盛の発病で一時中断、だが娘の徳子
の入内は現実となった、その後、念願の皇子が誕生した。治承
三年の冬の政変を経て、徳子の生んだ安徳が即位する。平家は
まさに天下を取った、我が世の春でぞの絶頂で清盛は福原遷都
を決行したが、高倉帝の病状悪化、わずか半年で再び遷都した。
この混乱の中から源氏の平家打倒の動きが各地で活発化する。
その状況で清盛は熱病で死に、木曽義仲の侵入で都落ち。時子
を中心とする平家一門の流浪が始まった、・・・・・その最後
に時子は安徳を抱いて海に身を投げた。救出はされなかった。

 とよく知られた史実なので、それをいかに独自に潤色し、作
品化するか、難しいところである。永井さんはどこまでも史実
に即して展開させているから、歴史の勉強と思って読めば得る
ものは大きい。独自の創造という点では、非常に難しくもあり、
特段のものは見られないが、時子への作者の親愛の情は窺える。

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