核兵器は純然たる防御、脅しの兵器、戦うならナイフにも劣る
この世には核兵器というものがある、今回のタイトルは、
いたって凡庸である。常識といえば常識、核兵器はこの世で
自分の国、一カ国が持っているなら際限もない強力な武器だ
、脅しの道具だ、北朝鮮を見ても分かる。だが相手国、相手
陣営に核兵器があれば、現実、使えない、国威発揚、交渉の
道具となり得るが現実の戦闘となると全く意味はない。ナイ
フ一丁にも劣る不経済な代物だ。ただし、あくまでも対抗上
、保有するのみだ。
アメリカだけが第二次大戦で日本に使用したケースがある
のみ、ウラン型原爆、プルトニウム型原爆を各一発である。
それ以後、実勢で使用されたことはない。基本的には今後も
実際に実戦で使用されることはないだろう。アメリカが現実
に原爆を投下できたのは日本が核兵器を保有していなかった、
からである。だが、多くの国が実際の保有している現在、そ
の防衛的性格はあまりに顕著である。相手が持ってこちらが
持たない状態では通常戦力での侵攻を招く可能性がある。
イラクやリビアが核兵器、移動手段も含め、保有していたら
アメリカの攻撃は招かなかったに違いない。対抗上、核兵器
を持つのは侵攻防止の点で意味は大きい。
しかし絶対に双方が核兵器を保有していたら実際に使うこ
とはないのかと云えば、そうとも云えない。例えばパキスタ
ンはインドの攻撃侵攻され、国の維持存立が危うくなれば実
際に核兵器を使うと明言している。明言しているのは事実、
核兵器の薄気味悪いのは、実際には使えないと思っても、絶
対使わないという保証もないことである。「もしや、本当に」
その懸念、あるいはパキスタンのような例もある。その本質
が抑止的機能であることは明らかである。
「まず使わないだろう、双方が保有だから」と思っても、そ
れとて人間の判断だから保証はない。不確定の気味悪さがつき
まとう。「でも万一使われる可能性はある」と思うと、確かに
その防衛的本質、抑止的本質はあまりに強い。
では北朝鮮の場合はどうか、もし戦争が勃発すれば朝鮮半島
全体が戦乱の犠牲となる、アメリカも朝鮮戦争の記憶もあり、
現実に北朝鮮攻撃、通常兵器での攻撃も起こすことはないだろ
う。チームスピリットも抑止機能である。だが北も、絶対の防
衛がほしい、核兵器である。双方が使うことは出来ない、使え
ばおしまいである。現状では北朝鮮は原潜を保有しない、だが
もし原潜を持てばそれなりに盤石だろう。
窮極の大規模破壊兵器でも、現実は飾り物である。だが「
もしや本当に」という懸念は完全には払拭できない。この、「
もしや」という懸念の無限ループが核兵器にはある。本質は
どこまでも侵攻抑止機能である。「国家が継続できないような
事態になれば使う」と明言はパキスタンがあるが、多かれ少な
かれ、似たような考えを核保有国は持っているのも事実である。
それゆえ、窮極の抑止機能の、防御兵器である。
問題は中国の台湾侵攻である。未だかって中国共産党政府が
台湾侵攻を否定したことは一度もなく、「やるぞやるぞ」とい
うスタンスをみせつけている。台湾が密かに核兵器を開発保有
し、原潜も保有していたら中国の侵攻は抑止できる。だが現実、
保有していない。アメリカが中国に核の先制を行うこともz絶対
にない。危うい台湾である。むろん、実際の台湾侵攻は容易で
はなく中国が得るものはない。メンツだけ、にせよ、それは到
底、実益ではない。
ロシアもウクライナ紛争で何度も核攻撃に言及はしても、し
かしどうにもこうにも使うことは限りなく困難である。相手が
使わない限り使えない、ウクライナは核兵器を放棄した。放棄
した国にはさらに使えない。
核兵器は侵攻抑止機能と国際間の国威発揚ていどしか意味は
ない。戦闘となるとナイフにも劣るものだ。莫大な経費、隠す
ための労力、移動手段開発の経費も多大だ。基本的に割に合う
代物ではない。なくなることはないが、今後も使われることは
ないだろう、結果としての狂言回しでしかない。戦術核とは名
ばかりである。
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