ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』、実は「スターリン時代研究所報告」という皮肉と含蓄に富む体制批判の傑作

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 タイトルから想像すると悲惨な、もしや北朝鮮の散々なあの
強制収容所に近いような惨劇を描いている?と早合点しかねな
いが違う、実はこの作品は長編である。しかも内容はユニーク
で深い、根底には実に鋭い批判精神がある。日本文学ではちょ
っと見い出しすぐれものだ。大江健三郎さんはこの作品を「ス
ターリン時代研究所報告」と名づけたほどだ。その意味は?で
ある。

 モスクワ郊外の「特殊収容所」が基本的に舞台となる。戦後
のことだ、1949年12月24日、土曜日の午後4時過ぎから27日の
火曜日、昼過ぎまでの70時間ほどを描いている。

 特殊収容所とは、である。一般の収容所から優れた技術者、
理系研究者を選び、特定の研究テーマに従事させる、という、
ある種の研究所らしいのだ。食事とか給与も一般の収容所より
はるかに優遇されているという。そこでもし優れた技術、機械
装置が開発されたらスターリン賞さえ授与されるという。業績
をあげた収容者は名誉回復され、ただちに社会の上層階層に復
帰できるということさえある。収容所を地獄とすれば半ば天国
というほどだ。ただし勤務時間は一日12時間、日曜日の休みも
ないというハードさである。

 その特殊収容所では目下、スターリンの気まぐれからの秘密
電話装置の開発が急がれていた、だが期日までに完成の目処は
ない。その担当は主に「第七班」の研究テーマだったが、別に
音響研究室という部屋もあり、多くの研究者、数学者、物理学
者、言語学者などが参加し、指紋に匹敵する声紋判別の開発が
要請されていた。

 この作品はある短い時間の中の出来事を述べたものだが、19
49年12月24日午後4時過ぎに近くパリに赴任が決定した外交官が
、知り合いの老医師に自動電話である種の警告を発するところか
ら始まっている。その身に危険が及ぶという警告だった。善意の
警告である。だがその外交官の電話は盗聴され、テープにも取ら
れていたのである。

 この些細なプロローグから舞台は特殊収容所に移る。スターリ
ンの期待に背き、期日までに開発に成功しないと、・・・・・
と国家保安省大臣が同省の特殊技術部長に圧力をかけているのだ。
期待に背くとサボタージュの罪で収容所所長であろうが、研究所
長だろうが、囚人として一般収容所にぶち込む、というのである。
そのようなパニックの中、特殊収容所を中心として60名ほどの登
場人物が織り成す喧騒のドラマ、ほぼ70時間が稠密に描かれる。

 特に重要な人物は音響研究所勤務の数学者、言語学者の二人で
ある。だが筆致はドストエフスキーの『死の家の記録』に似て、
実はユーモアに富む、暗鬱ではない。スターリンさえパロディ化
されているのだ。不眠症に悩むスターリンが秘密の個室での奇妙
な行動、面会者は握手も禁止、特殊収容所内のさまざな対立、
囚人による密告、哀れな雑役夫の姿、・・・・緻密だ。最初に出
てきた外交官は逮捕され、数学者は一般収容所送りになる。

 ところで最近、聞いた話だ、facebookでロシアの友人、娘さん
がちょっと有名なソプラノなのだが、ショーロホフの「静かなド
ン」は代作だという。真偽は確かめようもないが、事実の可能性
はある。

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