椎名麟三『美しい女』1955,さまざまな出来事、感慨、幻想が平板に綴られてゆく

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 私にとって椎名麟三とは長くよくわからない小説家だった。
イズム詮索など文学では意味もないにしても、読んでピンと
来なかった。最初はプロレタリア作家、日本共産党員、だが
入獄、転向、戦後は第一次戦後派作家の一人として実存的な
作風、ドストエフスキーに影響を受けたという。父母ともに
自殺、14歳で家出という容易ならざる状況で育った。今の山
陽電鉄勤務、左傾化、共産党入党、特高に逮捕される。艱難
辛苦の道だった。

 1955年、代表作とみなされる『美しい女』、中央公論の「
日本の文学」に収録されていたので高校時代、一度読んだが、
その時の印象がピンと来なかったのである。あらためて、で
ある。

 主人公は「私」、「私は関西の一私鉄に働いている名もない
労働者である。十九のとき、この私鉄に入って以来、三十年
近く務めて、今年はもう四十七になる。今の私の希望は、情な
いことながら、この会社を停年になってやめさせられると同時
に死ぬことだ。勿論、会社が停年まで私をおいてくれるならば
だ。私がこんな希望を抱くのは、会社をやめて行った同僚のほ
とんどが、妙なことに悲惨な生活を送っており、なかには発狂
したり、、自殺したり、病死したものもいるからだ」

 こういう「私」が周囲のいろんな人たちから、いろいろ言わ
れながら、景色のいい海岸沿いを走る電車の車掌や、運転士と
しての半生を回想する、という小説だ。

 山陽電鉄〔戦前は宇治川電鉄〕に戦前勤務の椎名麟三だが、さ
りとてそれほど長く勤務でもないので実体験そのものではない。
だがその勤務経験をよく描いていると思う。垂水から須磨の海岸
沿いは確かにいい景色だ。もし自分がずっと山陽電鉄に勤務して
いたら、というある意味、かぐわしい幻想を綴ったものだろう。

  時代背景は戦前から戦後、戦中、戦後に渡っている。ある時
期は左翼からは不徹底と批判もされ、ある時期は右翼的人物から
曖昧すぎるとか、論難されたり、現在は労組の中で保守的だと言
われている。

 人間的にはいたって実直で円満で、人と争ったりしない。何よ
りも電車とその運転が好きだった。いつの時代も周囲との関係で
は喜劇的存在だった。その位置と役割は自分自身でも常に妙なお
かしさは感じていた。これは「私」の中にあって、絶えず眼前に
現れる「美しい女」の存在が関わっている。

 それは例えば、労組などで人間の歴史の話とか聞くと「美しい
女」が彼の中に現れてくるのである。彼の中の「美しい女」が
笑いだしたりする。、また電車が、彼の運転に応えて、「よかっ
た、よかった」と言い出す、なぜなら「私がその車にありがとう
とでも応えれば、私の心の中の美しい女が、情けなそうにそう言
う私を笑うにちがいない」から。

 そこで「卑屈、下劣、臆病、馬鹿、という言葉が、その私に与
られようとも、その言葉を輝かせるのが私の使命であるように、
あがきにあがき続けてやるつもりだ」という具合の感慨が、この
小説を貫く大切な要素となっているのだろう。

 小説的にはストーリーが展開していくものではない。例の「
美しい女」の姿を心に抱きながら、仲間の妹の淫売婦としたし
くなったり、ひどく勝気で野心家の出札係の克枝と結婚し、さん
ざん悩まされたり、別の仲間の心中の片割れのひろ子という女と
関係したり、その間にアカ疑惑で逮捕されたりする。

 あれこれ、とりとめのない事件が次々に起こってくる。その
たびに彼の喜劇的立場が明らかにされるようで、その滑稽な姿
が浮かび上がってくる。とりわけ、ある時期の左翼グループ、
また別の時期の滅私奉公的な環境でも「美しい女」へのあこが
れを持ち続け、ともかく真面目に働くことが好きな彼の性格は
ますます滑稽な印象を与えてしまう。

 全般に平板で読んで、つまらないと思ってしまいがちな小説
かもしれない。いささかも気の利いた風刺や皮肉は用意されて
いない。ただ、この凡庸な主人公をどうにか活かすことで、他
のいかなる小説家も企てなかったであろう、たしかに味わいあ
るペーソスに満ちたユーモアだけは醸し出しているようだ。
文章も平明で分かりやすい、・・・・・ドストエフスキーの影
響を受けたと言うにはあまりに異次元だが、妙な、・・・・・
これを実存性というのか、と思ってしまう。

 この作品は「文部大臣奨励賞?」かなにか、文部大臣がつく
賞を授与されたそうだ、それは木山捷平の『大陸の細道』と
共通だ、どちらもやや変哲もない平板なユーモアが漂っている。
文部省はこういう作品がすきなのか、と奇妙な印象を受ける。

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