若い時代、お金があったら乗りたかったバイク、スズキSP370

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 その昔、といってそれほど前とは思えない。大学生、無論
、男子学生だが最大の関心事は(もちろん、個人差はある)ズ
バリ、バイク、オートバイであった。今と違って実に魅力あ
るバイクが数多く販売されていた。いつ頃が最盛期だっただ
ろうか、相当それは長く続いた気もしないではない、1970年
代中頃から1980年代中頃までのように思う。それまでも若者
にバイク人気はあったが、まだそれほど普遍化、というか多
数派手はなかったと思う。一気に爆発が1975年ころのように
思える。バイク雑誌も花盛りだった。モトクロスも人気で
著名なライダーは若者の間で崇拝されたものだ。鈴木秀明
は無論のこと、弟の鈴木都良雄、また藤秀信、光安鉄美、
・・・・とちょっと思いつくが無論、外国の著名ライダー
、・・・・・いつかちょっと後のことだが、南海部品と
フレディ・スペンサーがスーツで契約、南海部品店舗をフ
レディが回って歩いたこともあった、南海部品福山店に来る
というので車で前を通ってみたら、店舗横に支柱パラソル、
フレディ・スペンサーが椅子にちょこんと座っているのが
見えたものだ。ま、それだけじゃ、つまらないが最初の大
卒後、退職し、彷徨の期間があった、「どうせなら二輪の
限定解除に挑戦しよう」などと思いつつ、試行錯誤、ついに
限定解除、だがはるか昔は二輪免許に種別などなく二輪免許
イコールどんな大型バイクでも乗れた時代は長く続いたのだ
が、私は幼い頃のことだ。だがその後、免許の規制もきつく
なるばかり、限定解除は公的試験場のみ、で事実上、中型免
許が限界となったのは否めない。そもそも限定解除の試験と
いって最初から試験官の警察官は落とすつもりなのだから、
始末が悪かった、・・・・・されど、執念深く挑戦は実った
形となった、・・・・・・だがバイクは今も高いが、昔も実
に、今ほどではなくても高価だった。私には買えなかった。
免許も持ち腐れであった。

 ズバリ乗りたかったのはホンダのOHV,縦置きVツインの
GL400、CX400、とオフロードのスズキSP370だった。SP370
は一度だけ走っているのを見たことがある。GL400は結構、バ
カ売れしたものだった。SP370の出荷台数は国内ではごく少な
いと思う。4サイクルOHC単気筒だった。

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実際に見たSP370の走行もエンジン音は単気筒らしいというに
しても結構すさまじい「パンパンパン」というもので、一気
に六甲山方向だろうか、加速すごく走り去った印象は今でも
深く脳裏に焼き付いている。

 コンセプトは異なるがホンダの前輪23インチのXL400がライ
バル?ではなくXL400と売れ行きは格段の差があった。国内で
SP370の販売台数は微々たるものだった。

 現物はゲットできないからSP370についての記事のバイク雑
誌などをコツコツ集めたものだ。

 乾燥重量は123㎏と250㏄並みに軽い。最高出力は25psを7500
回転で、最大トルクは2.9㎏ーmを4000回転という。タイヤは
前輪が3.00ー21、後輪が4.00ー18、

 スズキの開発陣のコメントとして

 当社では4サイクルエンジンではGSシリーズを発表してきた
わけですが、400㏄から1000㏄までシリーズとしては揃いました。
で今度はデュアルパーパスモデルに挑戦しようとなり、ハスラー
TS400という2サイクルエンジンのモデルを出したのですが、’78
年にアメリカで排ガス規制が実施され、2サイクルではクリアで
きなくなり、ここらで4サイクルのモデルを作ろうと決めたんです。

 ここで2サイクルTS400のモデルチェンジとして出そうという
ことになり、TS400は終了、4サイクルに変換となったんです。

 370㏄という半端な排気量はやはり4サイクルでは重量が過多に
なりやすい、オフロードも走るならと、重量低減のため370㏄と
いたしました。で名称だけでも400にしようかとも考えたんです
が、それはちょっと厚かましいとなって370としました。

 

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