八木義徳『摩周湖』1971、北海道を舞台の創作、「北方的野生への憧れ」と哀しみ、強味と弱味が錯綜する

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 八木義徳さんの文章を私が初めて読んだのは高校時代で
旺文社から出ていた雑誌『螢雪時代』へ八木さんが寄稿さ
れた受験生、高3向けエッセイである。内容はよく覚えて
いないが「現在私はある女子短大で文学の講義を行ってい
る、彼女らの笑顔に接するのは私の幸福である」というよ
うな文章があったと思う。全体として円満な、単に円満と
いって済まされる人はいないだろうが好ましい印象を受け
た。

 八木さんは出生、環境はなかなか厳しいものがあった
室蘭のご出身、北海道というものが郷里を離れてからも
その文学に大きな影響を与えている作家だと思う。1944
年、昭和19年に『劉慶福』で芥川賞受賞、応召で大陸に
イて受賞だったが東京大空襲で妻と子が死亡した。長く町
田の団地住まい、基本は地味な作家だけに生活も楽ではな
かったが晩年、一気に評価が上昇、菊池寛賞、また芸術院
会員にも選ばれた。

 さて、この短編集、あおの「あとがき」で「実に久しぶ
りの本なので、とてもうれしい」とある。ご自身でこの本
の特徴は「北方的野生」とも述べている。その意味はだが
「ときにあらあらしく、時に暗鬱で、そうしたときに、得
体の知れない哀しみに閉ざされがちでああるのが、北方の
人間の基本的心情なのだ」とも。

 この短編集には九篇の作品が収められている。1950年から
1970年までの20年間ほど期間に書き溜められていた作品から
北海道にまつわるものを選んだわけである。ある意味、作者
の分身的な人物が語り手になる作品だが、さりとて私小説で
はない。個人的な体験に限れば書く材料はあまりに限られる。
ある種の聞き書き的な作品だ。北海道にまつわる聞き書き、
ということだろう。

 有島武郎の「生まれ出づる悩み」に描かれた主人公のモデ
ルとなった漁師の画家と知り合った経緯が描かれ、その非常
に特異な風貌がこまかく述べられる作品、とか、網走刑務所
の明るい戦後風景、それは従来のイメージから隔絶されたも
のだが、聞書なので作者自身が「なにか真実感が不足してい
る」とも述べている。そこで稀代の脱獄囚の持つ異常な執念
が語られたり、読ん度も脱獄に成功、再収監され,五度目に
挑もうとする囚人の半生も描かれている。あるいは北方の岬
の荒涼たる自然に生まれ育った一人の少女の不撓不屈の生涯
なども描かれる。

 「私自身、北海道の南の港町に生まれ、幼友達に漁師の子
が多かったからか、いまも漁師というものに本能的な愛情を
感じる。私は人間の顔の中で漁師の顔が一番好きだ。とくに
あの老いたる漁師の顔ほど私に深い人間的感情を唆るものは
ない。太陽と潮風に灼かれたなめし革のような強靭な皮膚、
そこにえぎり刻まれた深い皺、・・・・・・それらは厳しく
孤独な顔だが、老いたる農夫にある暗い蔭はない・・・・・」


 このようなものを「北方的野生」というのだろう、私小説
的スタンスではない、もう故郷を離れ、30年以上は経過して
いる故郷喪失者、ハイマートローザーということだろう。私
自身も故郷を離れ、50年である。もう身内もいない。故郷喪
失者である。その気持はよく分かるというものだ。八木さん
はそれ故に北方的野生に憧れるということだろう。その憧れ
は哀しみと裏腹であり、それは強味と弱味を併せ持つことに
なる。この本の特質だ。

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