中村メイコの新婚初夜物語、母親に厳命されていた「おつかれさま」

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 さて、昨年、戦前から子役、戦後の黎明期の放送を支えた、
それは黒柳徹子と並び称される、黎明期を支えた二人と云え
る「中村メイコ」旧姓が中村五月、五月を英語でmayだから
メイコ、われわれの世代は昭和30年代初期の「田舎のバス」
の歌に尽きるが、1959年から1961年まで三年連続で紅白、紅
組司会を務めた、とにかく明るく機転が利いた。

 で、なにかエピソード、そりゃ数限りなくあるだろう。た
だ黒柳さんと比べて、「何をやった人?」と聞かれたら、戦
前の子役から戦後の放送草創期、その活躍は聞いているが、
その後はいまいちよくわからない、というのが偽らざる感想
だろうか、もちろん私が知らないだけである。

 で、面白いエピソード、神津善行さんとの結婚、初夜にまつ
わるお話だろうか。

 中村メイコが小説家の吉行淳之介に惚れ込んだ話は勇名だ
が吉行は既に既婚、多少はアタックしたがあきらめるしかな
く、なれそめはNHKラジオ「日曜娯楽版」の後半で「オセンチ
娘」という歌を歌う役が中村メイコさん、その「音域テスト」
テスターが神津善行氏、ピアノを引きながら「シタ、どこまで
出ますか」と善行さん、「吉行」に振られて「善行」というの
だが、「シタを出せ」とはもちろん「音域」の下、という意味
だと思うが、それを「舌」と思い込んだ中村メイコさんは精一
坏、気を失うほどに下を出し続けたという。善行さんが一向に
声を出さなず、目をむいて舌を出す女性をどう思ったのか、だ
が奇妙なもので、これがキッカケなのであった。思わぬことか
ら心が通じ合ったそうである。

 でともかく、二人は結婚した。婚前交渉は厳禁で「オアズケ」
が解禁となったのは身内を集めての結婚式、マスコミ対象の結
婚指揮と二度も式をやったその後であった。

 新婚旅行は北海道だったが、疲れているだろうからと最初の
夜は箱根の富士屋ホテルだった。

 そこで滞りなく夜が明け、翌朝まだ暗いうちから、メイコさん
は薄暗いうちから目を覚まし、身支度を整えたという。善行さん
はまだ大口を開けて寝ている。

 実はメイコさんは母親から新婚旅行に発つ前、あることを厳命
されていた。

 「メイコさん、最初の夜が明けたら決して寝坊はしないで、ま
ず先にあなたが起きて服装を着替えなさい。神津さんが目を覚ま
したら、ちゃんと三つ指ついて御挨拶するんですよ」

 その御挨拶とは?そこまで母親は教えてくれなかった。メイコ
さんは自分で御挨拶を考えていた。

 「はじめまして、どうぞよろしくお願いいたします」

 「こんにちわ、ご機嫌いかがでしょうか」

 と夜が明けてまだ考えていたそうだ。そうしたら善行さんが、ガ
バっと起きてきた。洋式ルームで三つ指もつけない。枕元で、と思
っても大きなベッドが二つ、つまりダブルベッドでなくツイン、べ
ッドの間にはサイドテーブル、思い余って空いている方のベッドに
飛び移り、キョトンと見ている善行さんにベッドで三つ指ついてペ
コリと頭を下げた。

 「ゆうべはどうもおつかれさま」

 善行さん、「それだけはやめてくれよ、初夜の明けた朝に、おつか
れさまなんて云ったなんてまずいよ、人に言わないでくれ」

 だが云ってしまったのである。


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