守田獅郎『二宮尊徳』〔人間選書〕農作業の徹底したサボり屋だからこそ歴史に名を残せた真実の姿

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 申すまでもなく二宮金次郎、尊徳は古来「勤勉の鑑」として
薪を背負って本を読む、あの銅像は各小学校にあったものだ。
でも、もう小学校からは二宮金次郎像は消えてしまった。ある
のは、たとえば福山市沼隈にある「みろくの里」くらいだろう
か?でもないにせよ、数は少ない。

 だが二宮金次郎がひたすら働き者の農夫ならどう考えても後
世に名は残せなかったはずだ。ありきたりな農作業にいそしむ
農夫、なら、ただそれだけである。二宮金次郎には何かがあっ
た、から歴史上に名を残せたわけである。

 二宮金次郎、尊徳は江戸時代後期、相模の農民だが、長男で
ありながら我が家の田畑を耕すことをやめ、所有の田は小作に
出し、金になる労働に精を出し、金を蓄えるとそれを人に貸し、
利殖を容赦なく図り、金の流れを研究し、金を動かすことを知
らない武家の経済の立て直しに辣腕を振るった。それまでの日
本は、基本が自給自足の封建制の枠内の経済、農民はただ田畑
を耕すことしか頭になかった。また自作、小作以外は共同作業
くらいしか発展的なことは出来なかった。

 だが金次郎、尊徳は父の代に一度は潰れた家の再興という目
的のため、他所の村の山にまで入って薪を取り、現金収入を図
ったが、逆に村の共同作業などはおろそかにして不義理をした
ようだ。結婚後は田畑は妻に任せ、武家に出稼ぎに行った。
最初の妻がそのような生活に耐えられず家を去ると、早速、彼
は家の管理に専念できるような妻を迎え、自分は他家で働いて
金をため、金貸しになって地主にもなり、政治にも関与するよ
うになった。

 金次郎、尊徳は封建時代の農村の、ただ自給自足という考え
から脱して現金収入、地主、金貸し化、現金を動かすことに
全力を注いだという、まっしく先見の明を持った人物だった。
既成観念、固定観念からの逸脱、脱出だから容易に誰でも出来
ることではないだろう。勤勉だけでは歴史に名を残せるはずは
ない。真相は逆なのである。

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