堀田善衛『若き日の詩人たちの肖像』1968,詩人たちとの交友を描いた小説ではない

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 このタイトルは伊藤整の著名なる『若き詩人の肖像』と酷似
しているから、その点で誤解を招きやすい。伊藤整の作品には
裏話があり、初恋というのが、その女性と伊藤整は戦後、東京
で再会、感涙にむせんだ、だから長男の名前にその初恋の女性
の名前、「シゲル!」から「滋」を長男につけた、ちょっと余
談だが、タイトルが似ているという点は重要である。

 だが堀田善衛のこの作品も長編である。緊迫した雰囲気は伊
藤整のそれを圧倒するものがある。伊藤整の『若い詩人の肖像』
と同じく基本的に自伝である」1918年生まれの少年が東京のK
大学受験に1936年2月25日の朝、上野駅に到着したところから
始まる。つまり昭和11年である。この少年は文学少年でもなく、
むしろ音楽少年であった。浅草レヴュー団のピアノ弾きに臨時
に雇われたり、歌謡と漫才のドサ回りに紛れ込み、三ヶ月も北
海道、樺太への巡業にいったのも、音楽少年ゆえである。

 この主人公は作者自身だが、最初は「少年」と呼ばれ、しまい
には「男」と書かれるように、終始一貫、ありきたりな名詞で通
されている。単に主人公のみならず。友人たちもアラビアとか、
ジョーとかルナとか、短歌文芸学とかアダ名みたいなものばかり、
固有名詞的なものは本当にでない。ただし歴史的人物、芥川龍之
介とか永井荷風とか、中原中也、室生犀星とかは現実の名前であ
る。これさえ渋々みたいだ。

 これは堀田善衛がこの自伝的長編を作者個人の特殊な体験を見
なさず、少なくとも1930年代の若者の共通普遍の体験に引き上げ
たい、という願いを込めてだろうか。

 だが状況は二・二六事件の前日、無事にK大学、つまり慶応大学
の受験でき、法学部政治学科予科に入学した主人公(堀田善衛)が
途中で文学部仏文科に転科、大学を卒業し、国際文化振興会調査部
に就職、徴兵で第三乙種で合格、召集されるまでの数年の歴史の歩
みは当時の大学を出て普通に就職したものの体験を遥かに上回る深
刻なものだったろう。

 つまり主人公の特色は音楽青年であること、また左翼的であるこ
とである。主人公はアルバイトで本の校正の仕事を行うが、たまた
ま保田與重郎の校正にあたり、「精神性」をすべて「精神病」に校
正し、そのまま送ってしまう。これは保田與重郎独特の文体への
主人公の深い嫌悪感に由来していた。こういうことは吉本隆明、三
島由紀夫、橋川文三らと隔絶している本質ゆえであり、むしろ杉浦
明平に近いだろう。

 満州国皇帝来日のため予備検束されていた主人公は、いわゆる横
浜事件の容疑者となった一友人に頼まれ、伊藤律のような男にレポ
にいったことから事件に巻き込まれる。危うく召集で検挙を免れた

 自伝ということで伊藤整の『若い詩人の肖像』と同じでも、詩人
が伊藤整の作品ほどにはさっぱり出てこず、なぜ「詩人たちの肖像」
なのか、疑問である。左翼性に満ちた主人公の思考の普遍化もどう
も不十分だろう。

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