公立中学に決して行かせてはならない子供とは?忖度なく云えば


 間違になく、公立中学に絶対にかせてはならないタイプの
子供というものが存在する。しかもその比率は決して低いも
のではない。公立中学はある意味、日本の最も悪しき面が凝
集された場所である。その問題はもちろん、語られ伝えられ
ることは多いが、その真髄は必ずしも伝えられない、表向き
メディアにおいてである。逆に「公立中学を避けてはならな
い」という現実から意図的に目を背けた建前論もしばしば見
受けられる。公立中学が子供の健全な成長、知的発達に非常
に好ましくない面を「公私」両面で持っている、ことはどう
にも否定できない。私自身の経験、また見聞するその実態を
勘案して云うのである。

 公立中学は好ましくない生徒でも誰でも全員、受け入れる
義務がある。また教育自体も中学では「内申書」などという
非教育的な抑圧装置が存在し、子供たちにいい影響を与える
はずもない。だが公立中学の不健全な制度は「どんな悪い生
徒でも受け入れる」ことと表裏一体なのである。悪いという
のを単に不良、素行が悪い生徒というだけでなく論者は奥歯
に物が挟まるが特に西日本では現実、深刻な問題があるが避
けようがない。教員たちもこの問題には戦々恐々としており
、生徒が被害にあっても救ってくれはしない。我が身大事で
ある。要するに公立中学は「うちは公立ですから、どんな悪
い子供でも入れなければなりません。ですからうちに入られ
て、あなたの子供がボロボロになっても責任はもてません」
ということである。

 とにかく公立中学に間違っても行かせてならない子供とは
、弱みを、ハンディを持った子供、いじめ、からかいのター
ゲットになりやすいタイプの子供、人間関係を築くのが苦手
でうまく立ち回れない子供、などである。逆に言えば人間関
係を築くことが出来、うまく立ち回れることが出来る子供な
ら公立中学も可能である。だが、うまく立ち回れる子供にし
たところで公立中学は基本的に、好ましい教育環境ではない。
そういえば、娘を幼い頃、英語教室に通わせていたが、そこ
の若い女の先生、娘に「~ちゃんは中学は必ず私立に行かな
いといけないよ」娘のキャラクターを見て取ったのだろう。
もちろん、娘は私立中学(ミッション系)に行かせたのは云う
までもない。

 要約すれば以上に尽きるわけだが、私自身の体験で云えば
、公立中学にさえ行かなければ、と今でも痛恨では済まされ
ない心の傷を背負うこととなった。さりとて当時、まら1960
年代後半では岡山県で男子生徒が行ける私立中学はほとんど
なく、金光学園中学〔高校もある〕くらいなもので、県外だ
が広島大学附属福山中学〔高校〕もあったが入学は至難を
極めた。現実的には金光学園中学しかなかったわけだ。で、
入学難易度は?これはコツが有る。基本学力だが、小学校で
欠席日数が多すぎると落とされるとずっと以前に教えられた。

 憧れだった金光学園中学高校

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 私の育った田舎、の商店街でも見識ある親は公立中学が好
ましくない、と知っていたから子供を私立中学に行かせた。
近所の、ある商売人、父親は働き者だった。先見の明があっ
て宅建主任者試験も合格、不動産業も営む積極性があった。
男の子ばかり、五人、全員、金光学園にやらせるつもりであ
った。上の四人は連続合格、ただ五男だけが不合格、やむな
く地元の矢掛中学、高校は矢掛高校、に。だが金光学園中学
にふられた、公立中学に行く羽目になったことが100%原因
ではないが、山口陸自で射撃検定中、突如、後方を向いて銃
撃、待機の19歳自衛官を射殺した。もうだいぶん、前の話だ。
もし公立中学に行ってなければ、まあ、それがイコールの原
因ではないにせよ、あの事件は起こっていなかったはずだ。

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 今は岡山県も私立中学、それに続く高校の中高一環が増え
た。好ましい学校ばかりではないが、公立中学は論外という
ほかない。私立でも中学を併設しない旧来の私立高校は経営
難に陥っている。

 かって笠岡市の西本願寺系、淳和女子高校、は今、岡山龍谷
と校名を変え、中高一貫、面目を一新した。ここで注目すべき
現象は「中学だけ岡山龍谷」高校を公立にという地元、笠岡市
の傾向、親の判断が顕著ということだ。いささか露骨なほど、
「公立中学だけは避けたい」という意志の表れである。重要な
ことは親が私立中学に子弟を行かせる圧倒的理由は公立中学の
回避そのものであり、将来の大学進学目的は一部の私立中学に
限られるということである。

 笠岡市の岡山龍谷中学高校

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