作家の書く随筆さまざま、いい味を出す庄司薫『ぼくが猫語を話せるわけ』


 作家の書く随筆はその作家の嗜好が表れる。それは当然と
して、本当に好きなものについて書いた時、いい味を出す、
とうことだろう。井伏鱒二なら釣り、吉行淳之介なら女、内
田百間なら借金、山口瞳なら将棋、さらに云うなら数しれな
いだろうが。それは作家自身の嗜好、また年季が入っている
ということはあるし、また作家自身による元手もかかってい
る、という痛みめいたものがあることがいい随筆のための要
件と思える。ごく最近始めて道楽でも何か書こうと思えば書
けるだろうが、本当に味のある随筆は書けない。年季、元手
が必須であり、室生犀星があれほど女好きで晩年、ほんとう
にいい年して随筆『女ひと』これを読むとこっちが気恥ずか
しくもなるし、「いい加減にしろ、女はそんないういものじゃ
ないぞ」と怒りさえ込み上げてくるが、そこは本性に基づく
年季というのか、逃れられぬサガなのだろう。

 好きはそれはそれとして、そこに苦渋があるほうが、また
いい味を出す、のも真実のようだ。内田百閒は借金だから、
苦渋は当然として、室生犀星はあの顔だけに、それで女に
好かれるはずはない、と思い込んでいた、これは前半生の菊
池寛もそうなのだが、菊池寛はある時期からその金にものを
言わせ、次から次へと、となった。あの小森和子も愛人とし
たほどだった。吉行淳之介は女に追いかけられるモテ男であ
り、中村メイコに熱烈に言い寄られたが、すでに既婚、まあ
不倫までする気持ちはサラサラなかったようだ。山口瞳はあ
まり道楽に溺れてはいけないという殊勝なる反省か、井伏鱒
ニ、あの渋面の奥に何が潜むのか、である。

 ところが結構な長さの髄j筆、とか、まあエッセイといった
方が意味は同じようでも雰囲気の出るのが庄司薫『ぼくが猫
語を話せるわけ』最近とんと話題にならないが生きておられ
るのだろうか、中村紘子さんはかなり前に亡くなっている。

 これは猫についてのエッセイである。陰翳めいたものはあ
まりない。庄司は元来が犬派だったそうで、猫派ではなかっ
た。犬派というのは庄司は小学4年から13年間も一匹の犬を
飼っていたという。その犬に死なれたことは大きなショック
であり、もう二度と生きたものは飼うまいと思ったそうだ。
それが、頻繁に旅行をする女友達から一匹のデカいシャム猫
を預かり、結果、そのまま飼い続けたという。でその女友達、
中村紘子とめでたく結婚とあいなるのだが、あいなったから
こそ飼い続けたということだが、なんだか西洋かぶれの女の
好みに合うのか、日本の猫とは異次元な狸のような顔をした
猫、愛着はわくが、常に犬の思い出がちらちら噴出する。そ
の中の一篇、「珈琲を飲みに行く」はい味を出している。


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