児玉隆也『人間を生きている』1973,これが児玉レポートだ!だが、ちょっと、ひっかかる部分も
この本は1973年12月に刊行された。実はあの「サンデー毎
日」に連載されたシリーズ『人間ドキュメント』からの記事
も含んでいる。この翌年、1974年の「文藝春秋』11月号に、
「淋しき越山会の女王」が掲載され、一気に有名となる。だ
がその時点で肺ガンに冒されていて1975年5月22日、38歳でこ
の世を去った。最初「週刊女性」に就職、女性週刊誌記者とは
到底思えない、度肝を抜くような記事を連発していた。「シリ
ーズ人間」である。その後フリーに。1972年2月である。
このサンデー毎日、のシリーズ「人間ドキュメント」は複数
のライターが担当していた。児玉の担当の記事も二篇収録して
いる。
その一つ「生前香典物語」精薄施設の経営維持のため、成長
し、独り立ちした我が子とも、また妻とも離縁し、30人の「わ
が子」のために資金を集めるため、生きながら自分への香典を
貰って歩くという、なんとも熾烈な厳しすぎるその過去と現在
の生きざま、である。
もう一つは「花と貧乏の物語」、家元制度、既成の「華道」
に根源的な疑問を投げかけ、どこまでも「花」の本質、「花」
の霊を追い求め、その実力を畏怖、警戒されながら貧困を生き
抜き、ジャーナリスティックには全く無名な生け花作家の話で
ある。・・・・・二篇ともユニークで凄まじい、この世の地獄
というしかない。さすが児玉レポートだ。
そう思えば、まったく平凡に尽きるような生き方、十年一日
のごとき、「峠の配達人の物語」、平凡さえ超越というべきか、
すべてを捨て、川辺りに川に流れてきたものだけから掘立小屋
を作り、庵を建て、川で取った魚を辺に撒いて育った豆を肴に
一杯やって悠々自適の高齢男性、その問わず語り、・・・・。
とまあ、昔あったNHK「ある人生」を遥か超越の迫真である。
たにも収録レポートはあるが、ちょっとイマイチの感は拭え
ない。やや文章をいじってことさら力みかえるような感じがあ
る。児玉レポート、すべてが傑作というわけでもないと知る。
まえがきに児玉が尊敬する人の言葉を引いている。
「米一粒つくれない、靴一足縫えない、柱一本削れない人間
だということを忘れるな。おれたちの書くものなどなくても、
人間が生きていく上に何の痛痒もないのだ、ということを肝に
銘じておけ」
多分、週刊誌記者時代、その先輩か、編集員からの言葉かも
しれないが、これは心に秘めておくべく言葉であり、本に載せ
るのは、ちょっと異様に思える。ここらが児玉隆也氏のあえて
云うなら弱点ではないか。
昔、「ラグビーマガジン」を読んでいたら、あの早稲田監督
の日比野弘さんの記事、まあ他の人もどこかで書いていると思
うが、・・・・・・
日比野弘さんが友人に「実は僕にもファンレターをくれる人
がいるんですよ」、友人「日比野さんにだから、どうせ中年の
男からでしょう」、「たしかに中年男性です、あの児玉隆也さ
んです」その文面には「私が早稲田在学中、全日本はNZのオー
るブラックスと対戦したときの日比野さんの勇姿は目に焼き付
いています」
実際はオールブラックスでなくて、そのJrチームだったが。
この「ラグビーマガジン」もう児玉隆也氏の死後だったと思
う。
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