櫻緋紗子(元宝塚)さんの尼僧への転身、その理由は恋人!花柳章太郎の死だった,

 
 私のこのブログ中のシリーズ「宝塚、懐かしの写真館」は
休止状態である。かなりの回数を経ているが宝塚の内部の、
今に始まったわけではない問題噴出で、正直、もう宝塚はい
いかな、という気持ちになった。また気が向けば、だがその
日が来るかどうか。

 さて、戦前、女役のスターだった櫻緋紗子さん、紗が沙な
らよかったのに、なんだか前三文字が全て重苦しい気がした
のである。櫻緋沙子なら、・・・・・と。同期は神代錦さん、
園井恵子さんなど、ともに男役なのだが、櫻さんは女役のス
ター、実は三歳ほど?下だったか、妹さんがいて、やはり宝
塚入り、だが二十歳前に亡くなられた。

 その櫻さん、舞台女優の希望があり、1940年4月、宝塚を退
団、新生新派に入団、以後舞台女優の道を、NHKの「花の生涯」
などにも出演、・・・・・なのだが1965年2月、芸能界を引退、
仏門に。その理由はその前、1965年1月に事実上の恋人とされた
花柳章太郎が亡くなったことだった。瀬戸内晴美さんが仏門入
りも井上光晴との関係を清算のためだったというから、有名女
性の仏門入りの陰には男あり、と言わざるを得ない。

 櫻さんのお寺は滋賀県近江八幡市の八幡山、海抜285mの頂上
にある尼寺、日蓮宗。小笠原英子法尼、瑞龍寺門跡執事長、と
いう肩書、

 仏門入りの宣言は前述の通り1965年2月、鎌倉の長勝寺で髪
を剃ったのは同年5月、その後、箱根の地蔵堂にもこもり、八
幡山に来たのはその年の12月8日だった。別に真珠湾攻撃があ
った記念日ではなく釈尊が悟りをお開きになったという記念日
である。成道会の日であった。そのとき51歳。

 当時マスコミは大騒ぎした、その直前に新派の花柳章太郎が
、櫻さんの恋人であった。当然、それが原因と思われてしまい
がちだったが、1975年のインタビューである。

 「私にせよ、瀬戸内さんにしても仏門入りは世間を驚かした
と思います。当然、何が動機、と詮索されてしまって、要は内
面的な問題とそのときは答えました。あらぬ想像を掻き立てら
れたら、と思ったからですが。昭和26年の交通事故は過去の話
です。妹も早く亡くしました。いま真実をお話したいと思いま
す。女優は不安定な仕事です、それも芸さえ良ければ、という
ものでもない。でも常に支えていただいたのが花柳章太郎先生
です。身も心も任せていた方がお亡くなりになり、もう私は女
優を続けることは出来ない、これからは真に内面に生きようと
考えたのです」

 実際、著書でも「花柳先生の青年のような純真な愛情」を述
べ、他方で「楽屋での女優どうしのイガミ合い」にはつくづく、
閉口していたという。新派を続けられたのは事実上の恋人、花
柳章太郎の愛と支えがあればこそ、

 「今ここで正直に申し上げたいと思います。やはり花柳先生
の亡くなられたことが直接的な原因でした。もうお仕舞いとさ
え思いました。仏門入り自体は実は以前から密かに心にありま
した」

 「私は仏門に入り、尼僧となったことを一度も後悔したこと
はございません。女優時代はやりたいこと、求められることが
常に違っていました。でもここでは、自分のすべてが一体とな
っています。女優時代は気になっていた服装、衣装も全然気に
なりません、お化粧もです」

 「今、真実を話せ、本当に安堵の気持ちでございます」


 花柳章太郎

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  櫻緋紗子

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