仲宗根美樹さん死去、沖縄ゆかりの歴史的な歌手、次々と消えてゆく昭和
仲宗根美樹さんか、もうその活躍を知る世代の下限が私くら
いの年代くらいだろう。ご両親は沖縄の方だったが戦時下、沖
縄は危険として本土に疎開、1944年、昭和19年、東京の生まれ、
でも実質、沖縄出身の歌手というべき、沖縄ゆかりの歌手だ。
ヒット曲は実質二曲である。デビューからは2曲目となる「
川は流れる」、それと1962か1963,「島育ち」、結果的に「島
育ち」は田端義夫との競曲となった。元来、沖縄の歌、だった
のだろうが、この歌の歌詞をめぐって「俺が歌詞を作った」とか
名乗り出る人が出て結構、これはトラブった記憶がある。別に歌
う歌手には関係ない話だったが、多少、気勢をを削がれた感はあ
あった。
でも「川は流れる」の出だし「わくらばを今日も浮かべて」、
「わくらば」って何、今みたいにスマホですぐ調べられるよう
な時代でもなく、意味不明だったが、ずっと後に「病葉」と漢字
では書くと知った。小学館の「古語大辞典」でみると「夏、青い
はに混じっている赤や黄色い葉、朽ち葉」とある。歌い方は、か
なりの巻き舌であった。マスクは彫りが深くエキゾチックだった。
イメージ的にはヒットは「島育ち」が最後、その後の歌は印象
にはないのだが、時代的に沖縄は長く本土とは別の統治、アメリ
カの施政権下にあった。「沖縄よ、どこに行く」という特有の時
代、仲宗根美樹さんが沖縄のイメージを代表していたといって過
言ではない、その意味で真の意味で仲宗根美樹さんは歴史的な歌
手というべきだった。
広島カープのエースとして長く活躍された安仁屋宗八投手、同
じ年齢、あの頃の日本と沖縄の状況下で仲宗根さんと並ぶ人であ
った気がする。
ご結婚され、自らビジネス、だがこれはうまく運ばなかった。
被害を申し出る人が続出、離婚もされたようだ。でもその後、
「今が一番幸せ」という安らぎのステージへ、お子さんたちも活
躍されているようで頼もしい気はする。
紛れもなく沖縄ゆかりの歴史的な意義を担った歌手だったと思
う。まだ79歳でなくなられたのは早すぎる気がする。御冥福をお
祈りしたい。
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