森敦『月山』1974,心象風景と自然観照の融合、この作品のために費やした40年の魂の沈潜


 随分前、森敦さんの『月山』での芥川賞受賞について多少、
綴った記憶はあるが、作品の内容自体には別に言及もしてい
なかったので、あらためて、であるが、それにしても芥川賞
受賞までの約40年間、姿を消していたに等しい森敦さんであ
るから、その突然の復活は文壇人を驚愕させたのは否めない。
丹羽文雄などは「あいつ、まだ生きてたのか!」と腰をぬか
さんばかりだった。1912年、長崎生まれ、旧制一高中退、新
宿の近代印刷に勤務していた。芥川賞受賞は61歳のときだ。と
もかく長く熟成した文学的観照の魂への沈潜、その自然観照と
の融合である。

 芥川賞も基本は新人賞ということで、さて、と読むとその内
容、構成も非常に古めかしい、だから悪いというわけではない
のだが、およそ現代離れもいいところで、これが逆によく言え
ば新鮮さを与えたであろうことは想像に難くない。

 たしかに古風だが、文学の真実に古風も現代的も区別はない
だろう。魂の沈潜が自然を凝視し、人生の観照がその自然と一
体化している。さりながら近代文学の流れとは異質である。異
質だが普遍性を持つ、永遠性というべきか。
 
 出羽三山の月山の山懐、かっての霊場であり、冬となれば雪
に覆われ、道も通わぬ僻地である。いわば人里遠く離れた現代
と異質の別天地で土俗的なる幻想世界が展開するのだ。つまり、
現代の殺伐たる日常性の放棄であるだろう。

 この現代の日常を遥かに離れた別天地を見下ろすのは月山で
ある。山懐に、あの世を体現したような集落がある。その寺に
「わたし」という一人の人間が訪れる。「わたし」は、ついに
「この世から忘れられ、どこに行きようもなく」ここへやって
きたのだ。長い冷たい冬を、荒れ寺の「じさま」と一緒に生活
するのだ。

 「わたし」の正体は不明だ。その人間による夏の終わりから、
翌年の晩春までのこの異次元な場所での滞在記である。

 「わたし」は作者と思いたいくもなる、でなければ書けない
はずというのも余計なお世話、その抱く思索、感性による人生
観照が何を主体とするのかわからない、いうならば無人称で成
立しているのだ。作者がそこにどうかかわるのか、人生観照の
純化、深まりを見つめるかのようだ。

 この「わたし」の目に映る、死の影が忍び寄る厳しくも凛と
した自然、前世、あの世という意識が常にのしかかる集落の、
暗鬱な生活の風景が広がる、月山の紅葉、荒れ寺での生活、集
落の民による酒盛り、行者のミイラ、雰囲気がとにかく気味悪
くもあり、呪いされ窺われる。

 と思って読み続けると最後に現代的な日常が突如姿を表して
いる。これをもって作品が破綻している、とも言えないだろう
が異次元な別世界の荘厳もはしなくも消し飛んでいるのは否め
ない。最後に「それは私です」というわけだろうか。

 ともかく消息不明の40年間、その沈潜でようやく生まれた作
品である。古風である、時代離れの作品である。あの当時でも、
だ。

 森敦さん、執筆はいつも山手線のこの席で

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