自分探しの旅で思い知った「我が道を往く」の愉しさ

傷ましいと云うなら、傷ましい、まさしく「奮闘努力の甲斐
もなく」なら世間によくある話である。間違いなく云える深刻
な事実は、思いもよらず私は不運な厄災に襲われ、それが類を
みないほど深刻化し、それが生涯、私の人生の足を引っ張りつ
づけたこと、それを除けたら?ではどうかだが、浅学非才、無
為無能、親といえば宇宙開闢以来のろくでなしのゲスの極み、
まさしく唖然である。別に今まで感じてきたことと打って変わ
ったことでは毛頭ないが、今に至ると、我が人生の真実をあら
ためて突きつけられた気分である。
人生は大学を出て、スタートラインから、、山あり谷ありの
延々と長距離、マラソンどころではないどこに落とし穴が潜む
かもしれない魑魅魍魎の道を何千キロ、何万キロも歩むような
もので生きるのは容易ではない。では、私は、となると、スタ
ートラインにつま先がかかった時点で大会役員に「お前は出る
な」と突き飛ばされ、コース外に転落、我が道を悠々と彷徨し
、コースならぬ、曲がりくねった道を気が向けば歩み、また瞑
想にふけったり、人生マラソン番外地を気ままに放浪したよう
な気分である。
だったら死ぬほど不幸、陰惨の極み、かと云えば、実はそう
でもないところが面白いわけである。人生マラソン番外地なら
窮乏の極み、となりそうだが、ここからが人徳の出番というわ
けで、結果は40年以上も会社に奉仕、退職金も年金もボーナス
にも恵まれた方より、皮肉だが余裕と言うなら余裕、こき使わ
れての消耗がない、だから、・・・・・・人生は面白いわけで
ある。「真面目に生きたらバカを見る」とも云うが、人生は
どう生きても実は構わない、コースから外れたほうが、豊かか
どうかは断言できないが、自分自身にそれなりに有意義な人生
が送ることができるわけである。無論、絶対大丈夫、と言える
道理もないが、根底はとにかくマイペース、枠からはみ出たら
いいのだ、メシなんかどう転んでも食っていける、ということ
だろうか。
私に降り掛かった厄災に私は一切、責任はない、理不尽である、
とんでもない不運だ、だがどうにも仕方がない。この理不尽を、
むしろ財産とするほどの不敵さを身に着けたらいいわけである。、
除け者、疎外の辛さ、いい気分でいられるはずもないが、そうな
った以上は、それを逆に活かすしかないではないか、それこそが
自分探しの旅のテーマだっと思う。ないて笑って、泣きを喜びと
する精神とでも言おうか、型に人生をはめる必要などさらさらな
い、ますます強く感じるのである。明日死のうが一向に構わない
というのも実感である。
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