アンドレ・モロワ『初めに行動があった』激動のヨーロッパにおけるフランス人の思考を問う
さて人生論などでおなじみ、「どうすれば幸福になれるか」
などもお馴染みでかってはよく読まれたものだが。以前、岩波
新書で翻訳が出ていた『初めに行動があった』、それほど読ま
れていなかった気はするが結構、面白い実例が多く載せられて
いる。
「行動することは、身振りや言葉によって、外部世界を自発
的に変えることだという」別にそれに該当しそうにない行動
もあるだろうが、ともかくこのように定義している。モロワの
行動論は実生活で知性の働きのみにとらわれやすい人々に対し
てかもしれないが、逆に知性を無視して過激な行動に走りやす
い人に対しての戒め、かもしれない。既成の文化秩序にたら依
存在するタイプで、後者は既成の秩序を破壊してやまない人た
ちである。
でもこういう論述、思考はいかにもフランス人的で日本人が
読むと、妙に理屈っぽいと感じてしまうだろうが。
行動の一般的考察に続き、「行動の諸形態」では行動の特質
や行動的人間にふさわしい徳が、軍事、政治、芸術、科学など
の諸分野でいたって具体的に論じられている。その中で最も行
動のイメージが明確になるのは軍事行動だという。1885年の生
まれで第一次大戦に従軍し、その体験「ブランブル大佐の沈黙」
で文壇に出たモロワである。
だが戦後、核戦争の危険をはらむ状況で。「軍事行動は戦争
に先行し、戦争をあり得ないものとし、また戦争を従来の通常
戦力によるものに限定する」という戦争抑止の行動となるとい
う。それは単なる軍事行動ではなく、どこまでも人間を主体と
する、人間的行動であり、モロワはそういう行動の形を現在の
他の文化行動のうちに確かめる。
外部世界を変えるとは、人間にとって危険な未来を、それと
は違った未来に変えることである。このようなスタンスで書か
れた「行動の未来」で、モロワが念頭に置くのは、すなわち、
ヨーロッパの未来である。そこでは「至る所で過去の重みが指
導者たちを圧倒し、思考の硬化を招いている」という。
ヨーロッパは転落の危機にあるが、見方を変えれば、それは
ヨーロッパ人に一つの深刻な変革の時代が訪れているというこ
とだという。ヨーロッパには危機を乗り越える知的な労働力と
いう切り札が残されているというのだ。だからここでは自発的
に外部世界を変えるという行動の定義は単なる定義ではなく、
現実的意味を持つわけである。
「もしも自分の意見を聞いてもらうという合法的手段が拒絶
された場合は、国民は暴力に打って出る権利がある」という、
さすが革命の国とうことだろう。
これを日本人が読んでどう感じるかだと思うが、別にさして
違和感をおぼえるような内容ではない。だがフランス人のもの
の考え方、モラリストの考え方の特徴を知ることが出来る。
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