パトリック・モディアノ『暗いブティック通り』、記憶喪失者の過去探し、自分探しの失敗譚、「自分とは結局、何者かわからない」というテーマ
聞けば韓国ドラマ「冬のソナタ」の原作者が影響を受けた
という、記憶喪失者の過去探しのゴンクール賞受賞作、だか
らといって読む前から崇め奉る必要はさらさらないと思う。
よく言えばフランス的な虚無的な実存主義精神の小説、実存
的でも本当に現実感が希薄だ。それでどうなるわけでもない
のに、と腹立たしくもなるだろう。実に思わせぶり、である。
まあ、ちょっとプルーストの「失われた時を求めて」の幻覚
的というのが。具体的なようで人物も背景も現実感がまるで
ないようだが、それが逆に実存的な意味で存在感を持ってい
るというべきか、不思議な真実を持った小説だろう。
フランス語の原題はRue des boutiques obscures,邦題はほぼ
そのまま日本語訳だ。
「私は何者でもない。その夕方、キャッフェのテラスに座
った。ただ仄白いシルエットにすぎなかった」という文章で
始まる。
主人公はこの小説の語り手、記憶喪失となった主人公、自分
が誰やらわからない、既往喪失のまま私立探偵に勤務、その探
偵社の社長からギー・ロランという名前を与えられている。身
分証明書とパスポートも与えてくれた。実はその探偵社の社長
も一時、記憶喪失となった経験を持っていた。だが社長が引退
、会社を解散することになったとき、主人公はこれから自分の
過去を探ろうとする。という、ところまでが第一章。解散のつ
もりだったが、主人公が引き継ぐことになった。
ということで記憶喪失者は二人いる。一人は回復しているが。
そこで、この小説のテーマは過去を探ることでの自分探し、と
いうことで、実存を追求するには恰好の筋立てではある。逆に、
いかにも虚構っぽい印象は受ける。ただ着想は悪くはない。主
人公は自分の過去を探って自分探しを行う。いろいろな人物に
出会う。
そうするうち、自分はひっとするとフレディー・ハワード・
ド・リュスという貴族でなかったかと考え、かなりの部分まで
信じ込むのだが、だがいくつかの証言から、それはどうも怪しく
なってきた。さらに調べていくうちに、ペドロ・マッケヴォイと
いう南米人であった、と認めてしまう。そのペドロはドニーズ・
クードルーズという元ファッションモデルと同棲していたことを
思い出すが、実は彼女はジミー・ペドロ・スターンというギリシ
ャ人の妻で、しかもこの南米人とギリシャ人は同一人物であった、
という具合に、なんとも、やたら話はもつれてしまう。
その探索というのか探求の道筋は、そこらの推理探偵小説には
まったく類例を見ない、香華に満ちたものである。
ある夜、元探偵社の真向かいのバーで競馬の元ジョッキーから
話しかけられ、それが誘因となって、自分が第二次大戦であの元
モデルのドニーズといっしょにムジェーヴの山小屋に逃れたこと
を思い出す。彼はスイスに越境させてやるという二人組の男に騙
されて10万フランを出し、ドニーズと離れ離れとなって、雪の中
に置き去りにされたのだ。個々の記憶は蘇った。だがそれ以外は、
どうにもわからない。
要はこの小説はある程度までしか記憶を取り戻せなかった一種
の失敗譚、自己探しの失敗の話である。
要は、自己を探し求めてもそれは不可能なことである、という
実にふかーい意味を提示する小説なのだと思う。探せども求めて
も、その真実、の姿にはいつまで経っても到達できない、という
例えばカフカの「城」、とも何処かでつながっているような気も
する。確かに実存主義的だが、イズム詮索を通り越えた、深い意
味をもつ、といえるだろうか。
自分探しの、謎解きのような道もしょせんは目的は達せられな
い、・・・・・わけである。
Patrik Modiano 1945~

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