死後、霊、霊魂が存在するのか?立教大学助教授の女子大学院生殺人事件についての恐山イタコの事前情報収集

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 例えば、ただ例示で引き合いに出すだけだけど、橋本京明
さん、という方、サンミュージック所属のタレントさんなの
だが、ユーチューブにチャンネルを設置、興味津々の霊との
対話をされている。それはいいことだとは思う。私は唯物思想
、史的唯物論とかマルクス主義思想は大嫌いである。いうなら
ば唯心論なのだが、しかし、死後、霊魂となるとまた全く別問
題である。生きていればこそ、の唯心論である。命尽きれば、
その先は無でさえない、というのが真実だろう。私は以前から、
死は無ですらない、「あらゆる設定がなくなる」、つまり生ま
れる前に、何も無い、設定自体が存在しない、のと同じ状態に
戻る、から生前と死後は基本的に同じことだと思うしかない。
だから死後、霊、霊魂と言うなら生前、生前霊があってもいい
はずだが、そんなもの、あるはずもない。

 例えばこういう話がある、1973年、立教大学文学部助教授の
大場啓仁(おおばひろよし)は大学院生の教え子を殺害した、
その挙げ句、1973年9月4日、石廊崎から一家飛び降り心中した。
大場助教授は一度も学術誌に査読を経た投稿論文がなかったそう
だが、生え抜きというのか、それで早い年齢で助教授に昇進して
いた。

 ここで女子大学院生を殺害し、その遺体をどこへ?という疑問
が生じた。週刊誌にはあるライターによる推測で

 「大場助教授の別荘に近い、池に投棄したのではないか、大場
助教授の頭髪がびっしょり濡れていたという証言もこれを補強す
る」という趣旨の内容であった。他方で別荘近くに埋めたのでは
ないかとも言われていた。

 女子大学院生の父親が恐山に向かい、霊媒師いたこを通じて
大場助教授の「霊」と対決したのであった。

 イタコが「遺体は池に捨てた」・・・・・

 だが遺体は別荘近くの土中に埋めてあったのが発見された。

 では恐山のイタコはなぜ「池に捨てた」と大場助教授の霊に言
わしめたのであろうか?

 私は週刊誌から情報を収集していた、取材事件だけに、事前に
情報を週刊誌から得ていたとしか思われない。全く内容は事実に
反する、それは週刊誌に書かれていた内容なのだ。

 私は死後の霊などないという確信を今まで生きて強めるばかり
である。そうでなければ救いもないではないか。霊体験などウソ
と思うしかない。さりながら、だからと言って、絶対にないと果
たして言い切れるのか、本当に霊があると思うしかない体験談が
あるとか、私も人から聞いた話なら霊の存在を信じるしかないよ
うな、話もある。だが、直接の体験でそれらしきものが一度たり
ともない。やはり、霊は、死後に霊などないとしか云えないはず
だ。

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