史上、最大の和製英語「マンション」、外国では集合住宅は原則「アパート」、なぜ「アパート」は恥ずかしい?

  「サーパス倉敷駅北スクエアガーデン」の完成予想模型(北側).jpg
 この日本は、やたら「日本語の乱れ」を喚く人が多い。その
発想はまことに旧態然としていて、これは大手新聞なども熱心
に「カタカナ語」糾弾、それと「本来の使い方」と異なる意味
あいでの使用、とか、端的に言えば日本人の「漢字文化」への
過剰な入れ込みがよく示される発想のものが多い、「外来語は
けしからぬ」外来語=カタカナ語を追放せよ、西洋から入った
言葉はけしからん、なら「やまと言葉」にしろ、というわけで
はなく「漢語」を使え、という意味合いが基本である。私は
日本語の表記の問題として世界の大半の言語で区別するLとRを
日本語の現状の表記では一切、区別の手立てがない、だからL
とRを全く区別できない日本人が外国で嘲笑される、という事態
に対しての、対策が全く話題にもならず、クイズ番組で「四字
熟語」とか、漢字文化圏にあまりにどっぷり浸かった日本人の
意識があまりに強い気がしてならない。

 で「日本語の乱れ」論者のやり玉に挙げられる場合もある「
和製英語」、何か英語に見えて、外国語に見て実際はそんな言葉
がない、使い方がない、というものだが、最近はなぜか槍玉にあ
まり挙げられない傾向がある。

 和製英語、というのか、本来と異なった外国語の使い方、と
いう意味での「和製英語」として、最大のものは圧倒的だが、い
わずと知れた「マンション」である。

 日本人はこの「マンション」という言葉に幻惑された、あるい
は洗脳された民族とも言える。実態はどこまでも集合住宅、もち
ろん大都会で市街地中心部に一戸建てなど手に入れるのは至難だ
から一挙に多数の戸数供給の集合住宅、アパートを「マンション」
という名で販売すれば、日本では「一戸建て以上の高級感」を与
えられる、ということのようだ。日本のように狭い国、まして大
都市部で新規に住宅購入となると集合住宅になるのは当然の話で
ある。・・・・・・だがアパートという世界共通の名称は絶対に
使わない、「和製英語だ、けしからぬ」とも朝日新聞も云わない。
多くの「マンション」居住者の気を悪くする、という損得勘定、
配慮が社会全体に強烈に働いている、わけである。

 当然ながら、例えばかなり前だが、ジャックリーン夫人がNY
の集合住宅で死亡の際も、「NYのアパートで死去」と報じられ
たわけである。北送で京都府内でパチンコ経営、総連幹部、北
朝鮮に莫大な寄付、金日成銅像建立でも5000万円寄付で北送の
元在日では例外的に平壌で最高級の生活、それだってカン・チ
ョルファンの「北朝鮮脱出」では「平壌のアパートに住んでい
た」とある。

 だが日本では「アパート」という言葉になぜか、非常な貧乏
感、劣等感を感じるんらわしがあるようだ。これこそが日本で
集合住宅を「マンション」と言わしめている唯一最大の原因だ
ろうが。
 
 要は、程度の良い、幾ばくでも「高級感」を持てば日本では集
合住宅の個別の部屋をマンション、という習わしで、これは日本
社会の大きな特徴である。

 いつからこのような言葉の使い方、高級感が多少でもあれば、
集合住宅の部屋を「マンション」と言い始めたのか、である。む
ろん、英語の意味は一戸建ての邸宅である。だがイギリス固有で
集合住宅全体を「マンション」という、マイナーな使い方がある、
のも事実らしく、日本はこれを徹底して拡大解釈している、それ
で満足感を与えられるなら、ということのようだが、社会全体の
意志は確固たるものだ。むろん、和製英語でけしからぬ、とは、
誰も口にしなくなっている。「それで皆、喜ぶならそれでいい
じゃないか」ということだろう。「アパート」を限りなく恥ずか
しいと感じる日本人の特性である。

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