池内紀『風刺の文学』1979,池内紀の事実上デビュー作、河内紀とどちらが偉かった?ともに1940年生まれ、
かって20年以上、刊行された古本をテーマとするが自在な
内容を織り込んだ雑誌「彷書月刊」、そこに池内紀、河内紀
という二人がしょっちゅう執筆していたので印象に残ってい
る。池内紀の紀は「おさむ」、河内紀の紀は「かなめ」とも
に1940年生まれ、あのとし生まれたら「紀」がなぜつけられ
た?と考えたらハハーン、あの頃、「皇紀2600年」巷には「
紀元は2600年」という歌が洪水のように?でもないが、「紀」
がその年の漢字、ということだったのだろう。池内紀は2019
年に79歳で亡くなっており、対して河内紀はまだ84歳でご存
命だ。
ともに才人ということは「彷書月刊」の内容で分かったが、
方向性は異なる。アカデミックなのは池内紀だが放送、音楽、
映像に関わって国際的にも勇名を馳せたのは河内紀、早稲田出
でTBSに最初入社した。同級生の回顧では「河内紀は高校の運動
会でも司会役、また多くの競技に出てまさに運動会のスターだ
った」とあった。
それはさておき、池内紀の実質デビュー作だ、「注目すべき
才人が出現した」とちょっと読書界というのか、文壇というの
か、驚かせた、というのが『風刺の文学』だ。
だいたい「文学論」の類、「風刺文学論」だってまず退屈な
本ばかりである。多くは四角四面、しかめつらの人がどういう
顔で「風刺文学」を読むのやら、と思うものだ。だが、池内紀
はその語り口が群を抜いている。その語り口で古代から近代に
いたるヨーロッパ文学を論じているのだ。
サモサタのルキアノスが船旅に出たとき、出会った250kgの
巨大なクジラの話をするが、「これは本当の話である」という
書き出しで始まる。ルキアノスの船はたちまち巨大クジラに飲
みこまれ、あたりは闇となる。が、おそるおそる目を開くと、
船員は死んでいない、船は大海を走り、多くの船が行き交う、と
前方に広い陸地、そこには遭難した様々な人が住んでいる。土地
を耕し、信仰したり、戦争もしている。新参者は武器があるせい
か、たちまち制圧、森を焼き払ってクジラを内部から焼き殺し、
脱出に成功する、・・・・・・と述べて「これはルキアノス作の
本当の話だ、なぜなら『本当の話』に収められているから」
とまあ、しゃれた話術だ。
さらに「ほらふき男爵」のほら話、メリヴィルの「白鯨」、本
論だろうか、「ガリヴァー旅行記」を語る。この旅行記の手法は
「社交的な饒舌」だという、作者はこの饒舌を利用し、読者を裏
切る、が、「馬の国」の分析は秀逸、フィウタム(馬)は禁欲的で
あり、好奇心は持たず、嫉妬も好き嫌いもなく、不満なく生きる。
これは中世の天使のような存在であり、人間の高貴さとは無縁で
ある。つまりスイフトは天使と獣の間に人間はおかず、フウィタ
ムとヤフー(馬の国の人間)の間に人間をいて、小宇宙としての人
間の位置という古代からの命題を示した、・・・・・という。
いたって粗雑だとは思うが、その他多く、大道芸人、パスカル、
ナチスとダダなどを論じている。
この頃は池内紀は若きドイツ文学者ということだった。たいし
た勉強家だと、半ば呆れた目で見られ称賛された。確かに、その
後の数多くの著書、近代、現代文学を論じた本もいささか、脱帽
のお見通しの内容だ。資質なわけだろう。しかし、80歳には到達
出来ず、世の中、難しいものだ、
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