村松友視『上海ララバイ』1984,村松梢風の孫が千駄ヶ谷、上海幻影で描く自伝的作品

村松友視を語る際に、決定的な存在は祖父の村松梢風である。
その存在感は比類ない、と云って済まされないのだが、村松梢
風は戦前上海に渡り、上海にぞっこん、佐藤春夫と芥川龍之介
による村松梢風排斥運動などもあった。川島芳子を描いた「男
装の麗人』は戦後、彼女の立場を悪くしてしまった。漢奸とし
て川島芳子が処刑されたその責任の多くは村松梢風にあった、
というほどの、良かれ悪しかれの存在感の祖父、村松友視の
父親も中央公論を退職、夫婦で上海移住と、とにかく上海は
松村一族に決定的に重要な場所となった。
だから村松友視の自伝的作品では上海がまた決定的な意味を
持つ。
云うまでもなく村松友視は村松梢風の孫だが、戸籍上は父親
が女を作った挙げ句に死んだため、梢風の五男として戸籍に届
けられた。祖母に育てられた。父親は友視の生まれる直前に上
海で死んだ。実母は他家に嫁いだが、友視は実母は死んでいる
と聞かされて育った。だが実母は生きていると知ったのは成長
してからである。梢風の葬儀で実母と出会った。親しく母とつ
き合うようになるのは、さらに後のことである。
と、そんじょそこらの庶民ではまずあり得ないようなレベル
、と云っていいのやら、まあ、それは仕方のないことだが、友
視さんの生い立ち、歩んだ道、感慨、それらが、この作品の前
までの多くの作品にも描かれていた。そのまんまでなくフィク
ションも交えた自伝的作品が多かった。
『上海ララバイ』もそのような「フィクションも交えた自伝
的作品」路線の延長にあるが、特徴は非常に事実に即している、
真の意味の自伝的作品ということである。長女夫婦と暮らして
いる実母を、結婚後に付き合いを深めた友視さん、主人公の「
私」が母を連れて東京の千駄ヶ谷のかっての梢風の家辺りや、
実父母が結婚生活を送った上海を訪ねた話を述べている、長編
である。
妻の秋子や異父妹の夫への気遣いから、「私」は8年ほど前
から、互いに家族ぐるみで母と行き来をするようになっていた
が、初めて二人だけで千駄ヶ谷に出かけた。「私」は昭和15年、
1940年に千駄ヶ谷の梢風邸で生まれ。当時まだ二十歳だった母
は梢風の説得で生家の向かいの橋爪家に嫁いだ。後にその夫と
も死別したが、母にすれば、この土地には得も言われない、感
概が湧いてきたようだ。他方、「私」は戦後、清水市で一緒に
暮らした祖母を思い出し、二人はそれぞれの思いを抱いて、す
っかり変わった街並みの路地や家々を訪ね歩き、梢風邸のあっ
た位置を確認する。だが妙な話で、「私」が秋子と結婚する前
に付き合っていた弥生との交渉がそれと重なる。千駄ヶ谷には
「私」が弥生と行った旅館街があった。過去が何重にも重なる
いうちに、母と「私」の歩調が、ふと一致するのを見出すのだ。
第二部の上海への旅、母と二人での旅行に弥生とのお別れ旅
行のプランも同時進行というのだ。なれない旅で緊張し、何か
陰鬱な表情の母も、結婚生活を送った街並み、夫が腸チフスで
亡くなったその家を発見し、興奮する。弥生とは旅先で偶然、
出会うようにセッティングしていた。現在の中国の状況もいき
いきと描かれる。さらに梢風による「魔都」や『上海』の文章
も挟まれる。ここで祖父、両親、私の三代の時代が交錯するの
だ。第一部「千駄ヶ谷」、第二部「上海ララバイ」のまとめた
長編である。友視さんが自らの原点を探ろうとした、あまりに
いわくある、複雑な生い立ちで「私」が何だかネジが一本欠け
ているような人間になった、そのネジが上海に転がっているの
では、という文章がある。ララバイは子守唄だ、この子守唄こ
そ友視さんの原点ということだろう。数ある自伝的作品でも
決定的な作品だろう。
この記事へのコメント