新年度、みんな加齢でみんないい

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 時間の区切りをどこに置くかだけの問題だが、日本の場合
は正月、年のはじめととも4月1日からを新年度という慣習が
ある。小学校は4月1日生まれは前年度といっしょに入学、と
なるわけだが。でも新年度となると、小学校から大学まで、
私は事情で多岐にわたる年度の同期生がいるが、その彼ら、
彼女らも着実に加齢しているんだな、と感慨に浸るという心
境にもなる。本来の年度の同級生たちは、もちろん私と同年
齢ということだが、続々、今年は古希を越えてさらに、とい
うことだ。みな、どんどん加齢である。だが、生きとし生け
る者、つねに生が終わる可能性との対峙である。私などは早
い年齢から常に、今にも人生が終わりそうな限界状況でギリ
ギリ生きてきた。だが、人生の長さなど、ひとはみな瞬間く
らいに思えばいい、100年という時間が、いかに実は短いか、
であるが、人の寿命の短さはその100年さえ、悠久の時間と思
いこむものだ。・・・・・・だからどうした?なのだが、あの
同期生たちもどんどん加齢している、団塊ジュニアさえ、若い
方でも50歳は超えている。今日は「みんな加齢でみんないい」
というというフレーズが深い、感銘さえもって心に湧いてくる
のである。

 故郷を出る羽目になって、単にでたではなく、親が田舎を
夜中に出奔して半世紀が過ぎた、ちょうと50年前の4月初旬で
あった。それまで十数年も明け渡しの裁判を提起され、調停を
続けて供託すらしないうちの親の立場は悪く、結局、明け渡す
ことに、自分の所有ではないのだから仕方がない、伯父からの
明け渡し裁判だった。でその近所に新たに新築して、というよ
りまだ前半部は未完成で、わずか居住半年で親が「夜中出奔」
である。町中の失笑をかったのは云うまでもない。それは伝説
とさえなったようだ。

 私に辛く当たることが生涯の全てだったあの「母親」、宇宙
開闢以来の悪意を煮詰めたような人間だったが、2021年に消え
た。

 やっと私の人生が始まった、人並みの人生が遅まきながら、と
いう思いである。でも、加齢である。だが私において加齢は望ま
しい部分が多いのである。過去のあまりの苛酷さを思えば、やっ
と、スタートかな、である。

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