宮脇昭『植物と人間』1970,生命界を支える植物への人間の奢りへの批判

太陽エネルギーは植物によって保存される。それは光合成
である。CO2と水と太陽エネルギー、これから有機物の生成、
これが栄養のスタートとなる。CO2から植物は酸素を生成する、
植物は地球上での唯一の酸素供給者にして有機物生成、気候条
件、水分収支、動物の盛衰を基盤でコントロールしている。植
物こそが地球上の生命を支えているわけで、動物である人類も
植物に寄生する存在でしかないが、「植物を保護してやる」と
いう、あまりにおこがましい、奢りが充満しているのは実は古
から連綿なのだ。
宮脇さんは亡くなられたが、今や人類の増上慢は狂信のプロ
パガンダを暴走させている。「CO2を減らすために太陽光発電
」として森林を破壊してやまないのだから、人間の愚かさも極
まれりであろう。これを宮脇さんが見られたらどう仰るだろう
か。
日本放送協会から刊行のこの本、植物社会のバランス、その
生成発展の法則性を説くことに力点が置かれ、タイトルは「植
物と人間」であるが、人間にとって植物とは何であるか、は以
上の要約、一般論を超える内容にさして立ち入っていないよう
だ。
宮脇昭さんは岡山県出身、広島文理大(現在の広島大学)卒、
植物学を専攻された。だから植物社会の興味ある記述は非常に
内容が豊かである。それらを展開しての宮脇さんの科学論には
大いに唸らされるものがある。もはや分子生物学全盛、全体と
しての植物がなにか等閑に付されがちというのか、その挙げ句
が真鍋淑郎のシミュレーターに依拠のCO2地球温暖化論の世界
宗教化だろう。真鍋淑郎のシミュレーションは1960年代に出来
あがっているが、宮脇さんによると、例えば生物社会の均衡状
態を規定の条件など、全く解明されていないに等しいという。
現代の科学は何でも量的に把握すればいい、との風潮だが、
自然界、とくに生命界のことになると、いくら量的な数値を
インプットしようが、根本は何も分からない。もっと全体の
本質を捉えないと、現在のパラメーターを好都合にチューニ
ングしてだけのシミュレーションを絶対化し、教条主義に陥
ってしまう悲劇を生んでいるということだろう。植物をない
がしろにし、有機否定、「脱炭素」の大合唱では人類の寿命
もあと僅かというほかない。ドグマが政治家、官僚、超大企
業に利用され、愚民化ばかりが横行では、とんでもないシッ
ペ返しを受けるだろう。
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