本多勝一『アメリカ合州国』1971,「差別と暴力」の国、アメリカを暴いた歴史的著作

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 当時、朝日新聞記者だった本田勝一が書いた歴史的著作で
あると思う。今はすっかり国のプロパガンダ広宣新聞になっ
て保守化した朝日新聞だが、当時は非常に反権力、反米的な
論調で一貫していた。ともかく、日本人が抱きがちなアメリ
カへの甘い幻想を打ち砕く、強烈な内容だったが、読まない
人のほうが圧倒的に多い日本だから、いまいち内容は知られ
ていないだろう。

 当時はベトナム戦争真っ盛り、そのルポルタージュで「自由
と民主主義の国」アメリカの行動と正体を暴いた本多勝一が、
今度はベトナム撤退米軍の第一陣800人の中で最高勲章に輝く
「ハロルド・ブライ軍曹」21歳の黒人兵の帰郷を追いかけ取材
するという形で、黒人居住地の内部、またアメリカ南部の奥深
くまで取材している。

 本多勝一はまず、ブライ軍装帰還に先立ち、その家を探し、サ
ウスカロライナ州マートルビーチ市に飛び、その所在地である「
ダンバー通り」うぃ自動車修理業者に尋ねる。だが「全然知らな
い」という返事しか戻ってこない。だが、その通りはすぐ近くに
あった。こんな近くでなぜ知らないと云うのか、怪訝に思った。

 本田は探し出した家を訪問、ブライ軍曹夫人に夫の帰国の朗報
を伝えたが、夫人は本田に何一つ質問をせず、無愛想で話に乗っ
てこない。全然、嬉しそうでない。

 シアトルでは大歓迎を受けたブライ軍曹だが、その故郷のマー
トルビーチでは誰も関心を示そうとしない。なぜだ?その理由を
本田は追求しようとする。

 その序文でも本だが明言しているように、黒人の側に立つスタ
ンスでアメリカ南部の最深部を取材する、ということは映画「イ
ージーライダー」で旅する若者二人に対すると同じような、針の
ように鋭い「南部の目」を全身に浴びるだけではなく、南部の白
人から狙撃されるという危険な体験と隣り合わせであった。事実、
本田は南部の道を走行中、すれ違いざまの銃撃を受けている。

 とにかく本多勝一は身の危険を犯し、最初の疑問の徹底解明に
乗り出す。自動車整備工場が、すぐ近くの通りを知らないといっ
たのは、その家、軍曹の家が黒人ゲットー、居住区にあったから
である。軍曹夫人の態度が冷淡だったのは、本田がAPの白人カメ
ラマンを同行させたからであった。故郷が軍曹を歓迎しないのは、
単なる一黒人兵の黒人居住区への帰還にすぎないからであった。

 内容は膨大だ、「アメリカ合衆国」でなく「アメリカ合州国」
とタイトルを付けた真の意味は高尚だったのだろうか。

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