梁雅子『恋人形』1962,文楽、人形浄瑠璃の世界の古風な情念を冷徹に描く


 さて、梁雅子(やな・まさこ)さん、1911~1986,大阪生
まれ、市岡高女から樟蔭女子専門学校、だから田辺聖子さん
の先輩となる。富岡多恵子、河野多恵子の大阪女子大、また
河野多恵子、富岡多恵子ら「二人多恵子」に先行する大阪出
身の女流作家だった。だが大成感がない。1960年、49歳で最
初の長編『悲田院』で女流文学賞、他に『われ飢えたる民』、
『道あれど』、『月の京都』など、『まぼろし大江山』1969,
『文五郎一代』1970,あの稲垣足穂に師事、歌人上がりであ
る。

 この『恋人形』文楽という伝統芸術の世界を堂々と取り上げ、
なんとも緻密に、執拗に、丹念に描きこんでいる印象だ。実際、
梁雅子という作家、忘れられた作家であるが、実に面白い作品
と感じる。レベルは高い。

 いかにも女流作家らしい感傷的な詠嘆も目立つ気はするが、
どうにも落ち目の衰退の伝統芸術の苦境への心からの同情が
基盤にあり、十分に真実性を保っている。文楽の世界を描い
た作家としては女流作家で瀬戸内寂聴がいるが、『蓼食う虫』
の谷崎潤一郎は確かに文楽の世界の侘しさをなかなか鮮やかに
描いているという印象がある。とはいえ、文楽の世界にこれほ
ど真正面から取り組んだ文学作品もちょっと類例がないと思わ
れる。

 主人公的な人物は人形遣いの二人、対象的な人物である。花
川千珠は美貌の青年、実は文楽界の若手のスター的存在、芸に
は打ち込むが『広く大きな世界からすでに横を向かれているよ
うな哀れなものを、生涯かけてらるというのは間違いではない
か」と内心は迷いが渦巻いている。「人形浄瑠璃というものが、
真っ昼間、押し入れに入って蝋燭を点しているような、陰気で
惨めなものに思われてならない」。

 実際、この作品は伝統賛美、美化に陥ること無く、「陰気な
惨めさ」を粘り強く描きこんだところに魅力がある。稀有な作
品となっている。花川千珠を若手スターで何やた奥深い懐疑家
のインテリとして描かず、次々と行きずりの情事を繰り返すと
いう、放蕩男という設定なのだ。で、千珠が本気で憧れている
という女性画家との関係については、なんとも稚拙で舌足らず
にしか描けていない。強いてこの恋愛に現代的な風情を盛り込
もうとしたかもしれないが、これは失敗かも。

 もう一人、古風な芸人気質の塊の巴京三と穏やかな三十女の
山路雪との恋愛はよく描けて印象に残る。弱気でさえないが、
一旦、人魚をもたせたら際立つ、独自の魅力、これは古めかし
い情痴だが、こちらは印象的だ。

 最後の作品となった『文五郎一代』おしなべてどの作品も
舞台、テーマが古めかしい、あまり読者を得られず、引退が
早かった、といえる。


    梁雅子

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