渡辺淳一『わたしの京都』1989,稀代の軟派作家の京都にまつわるエッセイ、アホらしいことを大マジで書いている。

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 北海道は空知郡出身、札幌医大卒の渡辺淳一さんの京都に
まつわるエッセイである。たしかによく遊んだ人なんだな、と
感心させられる。京都でも十分以上に遊んでいる。渡辺さんら
しく、話はきれいにまとまる。まあ、理解できるが、軟派の女
すきのモワっとした筆致で深い事情はよくわからないが、その
えも言われぬモワっとした感覚、内容が魅力なのかどうか。
たしかに直木賞など著名作家にして医師だからモテるのは仕方
ないが。

 この本で知ったが、渡辺淳一は北大教養課程を終えて札幌医
大学専門課程に入ったこと、でその教養課程を終えた年、三月
半ばに京大文学部、法学部の編入試験を受け、不合格。さらに
財布を落としては、駅の近くの旅行者援護宿泊所という施設に
10日間居留し、その間、京都見物、バスで若い美人と二人きり
になって、話しかけ、二人で並んで歩いたあげく、二人分の切
符を買おうとしたら彼女は消えていた。受付の人に聞いたら、
「あの方は御門跡さまのお嬢様です」と。まあ、こんなエピソー
ド、ウソではないようですでに女好きと作家的才能が発露して
いる。これは「失意と天女」なる章。

 「クラブとお座敷」は祇園のお茶屋と銀座のクラブを比較し
ている。このエッセイは大金の浪費の産物だ。で?値段は同じ
くらい、お茶屋遊びの方が得だ、という。まず余裕のスペース
、部屋は掛け軸から置物、花など配慮が行き届く、会話は芸妓
が上だそうだ、それに他の客の顔を見なくて済む、芸妓は口が
堅く、関係が出来てもバレる心配がないとか。あとくされがな
いようだ。

 だが、こうほめたたえて、長所は弱点に通じるという。一部
屋一組で単純すぎる、静かすぎて口説きにく、騒々しいクラブ
の方が口説きやすいそうだ。それは分かる。芸妓は芸が売りだ
から容姿はやや劣る。まあ、実際、あほらしくて書けないよう
なことを、大マジで書いているから微笑ましい。

 まあれこれ、お茶屋の女将が請求書に紅葉の葉二枚入れて
いた。それを札幌のススキノのクラブでマダムに話すと「
京都の人って商売上手ね、そんなことに騙されちゃだめよ」と。
祇園に入れ込む男へのススキノの女性の反発も見え隠れする。

 正直、好き者のさして変哲もない京都論、学ぶべきものは
ないが、人柄は角がないのは分かる。これで人生大成功とい
うのだから才人ではあったわけだ。

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