司馬遼太郎『菜の花の沖』、高田屋嘉兵衛の先進性と人間力を描いた長編

『菜の花の沖』はあの高田屋嘉兵衛を描いた歴史小説である。ただし
江戸時代後期の話である。それを小説化は史料の引用紹介に終わると
いう可能性がある。事実、司馬遼太郎の近世、明治という時代設定の
歴史小説は史料ばかりで面白くない、という感想もある。『翔ぶがごと
ク』はその典型かもしれないが、歴史的によく知られている近世以降
の人物を好きに自在に書く、ということも出来ない。また小うるさい
批評家に何かと文句をつけられやすい。歴史資料と首ったけ、は自分
が見たわけでもない人物、事案だから当然としても、実際にいかに独
自の作品に仕上げるか、作家の力量である。その困難さを司馬遼太郎
は十分に克服している。司馬さんはこの嘉兵衛を江戸時代という枠を
超えた自由な精神の日本人の一人とみなし、その人間像を増益している
『菜の花の沖』というタイトルは淡路島出身の高田屋嘉兵衛(1769~
1827)が淡路島の出身だったことにちなむ。『菜の花の沖』は高田屋
嘉兵衛の波乱の生涯を描いたものである。
江戸時代、商業の中心である大坂と奥州や蝦夷地の間を、日本海経由
で往来する千石船は北前船と呼ばれ、海運の花形とされていたが、この
北前船を駆って北海で活躍した海商の中で、実はよく知られていたのが
高田屋嘉兵衛であった。嘉兵衛は単に海運業を行っただけではなく、18
世紀末から19世紀にかけて北辺の防衛と海防を考える幕臣たちと呼応し
、クナシリ、エトロフにまで航路を伸ばし、蝦夷や千島の開発に寄与し
たのである。だが鎖国政策の日本との通商を求めるロシアとの外交的な
トラブルに巻き込まれ、1812年、ロシア軍艦に拉致連行される羽目にま
でなった。
司馬さんは作品化のコンセプトとして海に囲まれた日本、開国日本に
とっての海の重要な役割、日本人の意識構造と結びつけて捉えるという、
いわば司馬史観の一環を担うものである。その上に立って、商品経済の
発展に伴う海運の発展、それから政治、外交、国際情勢まで視野にいれ
て描く非常にスケールの大きな作品だろう。
前半部は淡路島の貧農に生まれた嘉兵衛の少年時代からまずスタート
し、兵庫の廻船問屋に身を寄せていた嘉兵衛が徐々に、船乗りとして頭
かくを現し、北海への野望をふくらませ、やっと小さな古船を手に入れ、
高田屋を起こす。11歳から新在家の店に住みこんだ嘉兵衛は、土地の若
衆宿のものから憎まれもし、網屋の娘、おふさとの恋愛もあり、島を脱
出する。兵庫の堺屋喜兵衛のもとで修行を積み、持ち船船頭となって松
前、蝦夷に行こうという夢を抱く。それは新興の海運業者の入り込む余
地がのこされていた、というのが北方であった、ためでもあった。
弟たちと高田屋を起業した嘉兵衛は念願の千石船を建造し、蝦夷地
との交易に乗り出す。そ実行力と洞察力は際立っており、着実な実績
を上げていったが、なによりも封建制度内の身分意識に囚われないと
いう先進性の持ち主だった。幕府の蝦夷地経営の方針転換にもすぐに
呼応、ロシアに拉致され、軍艦に連行された。カムチャッカに連れ去
られても冷静、沈着に行動し、民間人として困難な外交問題の解決に
努力し、無地に帰国を果たしたのだ。
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