CO2地球温暖化気候変動論という狂信がEV信仰に収束という、人類史上最大の茶番劇を嗤う

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 全く当然の車の購入傾向だ。ドライバーがほしいのは純エンジ
ン車である。高性能、高効率エンジン車である。で通常のハイブ
リッド、HEVはどうか。それはそれで使えるし有用な部分もある
が、そこまで過剰な資材を投じて、資源の濫用も度が過ぎるし、
あってもいいかもしれないが、多くの場合、無用の長物である。
なら純電気自動車、BEVはどうか。私は電気自動車という名称は
適切とは云えないと感じる。「純バッテリー車」がその内容を最
も適切に示している。一次エネルギーを持たず、純然たる化学エ
ネルギーのバッテリーのみ、発電能力もない。ただ搭載バッテリ
ーだけ、純然たる化学反応だけで取り出す電気エネルギーで駆動
も必要な全ての電気を賄う、人類の叡智である「電磁誘導」を無
視し、19世紀の電池だけ、という時代に,「ボルタの電池」からと
いう「原始時代」に逆戻りに近い愚行である。

 別にモーター駆動でもいい、だがそのモーターの電源バッテリ
ーが走行中充電もされない(微小なソーラーは問題外)というなら、
これではラジコンのオモチャと同じ、事実、マブチモーターと
乾電池のオモチャの車と同じことである。どこに人類の叡智があ
るのか?時代の逆行も甚だしい、というべきだが、CO2地球温暖
化気候変動という愚民化狂信が「BEVに収束」しているという、
いうならば人類史上最大の茶番劇が繰り広げられているのである。

 石油資源は何年経っても後~年、とは云うが、これは何ら永久
ではない。石油がふんだんに使えるのは21世紀中が限界である。
その実質枯渇を先延ばしにするため、神が人類にバカバカしいい
ようなドグマを蔓延させている、と思えば理解できないわけでも
ない。結果はそれがBEV,電気自動車信仰に収束、という酷薄なる
歴史的と言ってもいい事実である。笑っては済まされないものが
ある。どうせ近い将来、超大量消費、超資源乱用の人類文明は終
焉する。その掉尾を飾る茶番劇ということだろう。

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