エディ・タウンゼントのピストル密輸事件 〈忘れられた小事件〉
私もはっきり記憶しているのだが、NHKのテレビニュース
で「藤猛選手のトレーナーだったタウンゼント、ピストル密輸
で逮捕されました」正直、そのときは私は中学生だっが非常に
意外に感じ、驚いたものだ。・・・・・それを述べた記事は、
ネットを見渡しても見当たらない。エディ・タウンゼントとい
うWikiを見ても完全にパスしている。そう言えば日本プロレス
のレフェリーだった沖識名さんもピストル密輸で逮捕されてい
るが、これはWikiにちゃんと載っていて面白いエピソードまで
書かれている。
1967年6月21日の夜、警視庁保安課はピストル密輸、同不法
所持の疑いでエディ・タウンゼント(52歳)を逮捕、だがわずが
50日ほど前に世界ジュニア・ウェルター級世界王座を指導の
藤猛選手が奪取、その原動力の名トレーナーとしてマスコミの
寵児になっていただけけで世間は唖然としたのは言うまでもな
い。
逮捕の前日、6月20日にエディ・タウンゼントは藤猛のトレー
ナーをやめ、フリー宣言を行っていた。このタイミングの逮捕、
逮捕されそうなのでリキジムの方から切ったのか、どうか。
ボクシング採点で有名だった郡司信夫さんは「極悪人呼ばわり
はあまりに気の毒」と同情的だったが、世間の眼は厳しかった。
6月20日の契約解除の話し合いはリキジム(これはあの力道山
が日本からもボクシング重量級のチャンピオンを、という目的
で創設したもの)の吉村会長、プロモーター、エディの三人が集
まって吉村経営の麻布のドライブインで行われたという。プロ
モーターの瓦井孝房は「ただ平和的に別れようという話でした。
わたしはオブザーバーとしてです。どうも藤とエディの感情的
な行き違いがあったようで、またロポポロとの試合前から、フ
リーになりたいと希望していたようです」、吉村会長は「私は
慰留したんですが、まさか」。
実際は吉村会長の策謀、タレコミの結果、という推測があるが、
遠からずであろう。エディ・タウンゼントは素直に自供、それで
終わった、執行猶予判決であった。
藤猛がチャンピオンとなり、ハワイで試合となるとハワイ出身
のタウンゼントが興行権さえ持つ、それが、・・・ということだ
ったようだ。ただタウンゼントの去った藤は精彩を欠いて短命チ
ャンピオンで終わった。逆にエディ・タウンゼントはその後、日
本人ボクサーの指導を続け、続々と名ボクサー、チャンピオンを
生んで不朽の名トレーナの名を歴史に残した。
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