石川達三『心に残る人々』1969,どこまでも質実、公正を貫く男性的作家の回想エッセイ
私が日本の近代文学で最大の小説家と考えている石川達三
の1969の著書である。国木田独歩の『忘れ得ぬ人々』とそこ
か重なるタイトルである。無論、こちらはエッセイである。
石川達三が学生時代から執筆時点まで、心に残っている人々
を回想したエッセイである。同じ作家仲間の菊池寛、横光利一
などの文壇人が多いのは当然としても、国木田独歩のあの作品
のように、下宿屋の主人とか、学生時代の友人もいれば、同じ
文学者でももはや忘れ去られていそうな人々、さらにジャーナ
リスト、軍人、政治家、またイリヤ・エレンブルグのような外
国人もいる。文学者についてはほぼ故人である。
この回想エッセイは過去は過去として、さらりと書いている
。15年戦争当時、中国に作家として派遣されて、正直に見たま
まを書いた『生きている兵隊』が筆禍とされた事件、事実を述
べたあと、「恐ろしい、また滑稽な時代であった」と述べてい
る。
文学者を語る際も、感情にとらわれず、知的に述べていると
いうのか、もっと好き嫌いでなくとも、はっきり単刀直入に書
いたほうがいいと思わせる、とも思う。
しかし「健康で正統的で、理想主義的」な作品を書きながら
不遇の中、病死した島木健作や、文芸時評で「石川達三の志小
ならず」と書いた正宗白鳥らには、親近感がにじみ出ている。
岡山県の旧制高梁中学から私立の関西中学、で関西中学卒だか
ら岡山県には苦渋もあるが、懐かしさもあるわけだろう。念の
ため?高等小学校を同期より一年余計に、そうしたら旧制中学
で同期より下の学年になり、あまりの恥ずかしさ、大ダメージ
になったという。
吉川英治の大衆文学作家としての自覚に接して石川達三自身
も反省を迫られているように感じる石川の精神はやはり曲がっ
てはいない、健全というべきだろう。
女性作家はあまり出てこない、女性自体が出てこない、確か
に石川達三と女性の関係は謎めいている。荻郁子という女流作
家には妙なこだわりがあるようで、好みのタイプのようだ。や
はり石川達三は男性的作家である。林芙美子についての記述は、
あまりに平凡で見るべきものがない。
「出世作の頃」では、第一回芥川賞受賞『蒼氓』、それを書い
た時期の思い出話だ。なぜ『蒼氓』を書こうと思ったのか、「雨
の中の移民収容所」にそれがある。ブラジルに行こうと思い立っ
た石川達三が全国から集まった移民に向かう農民の姿に接し、「
巨大な日本の現実」を目の前にして大きな衝撃を受けたこと、そ
れが動機である。
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